小説 日本銀行

2月8日(金) 晴れ
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家内の高校時代からの親しい友人に、主人が元日銀幹部だったNさんと、元大手電機メーカの幹部だったOさんがいる。家内とNさん、Oさんは年に1,2回会って旧交を暖めている。場所は、日銀鳥居坂分館といって、超安くてしかも凄く美味しい所だという。豪華なビフテキを含むフルコースが2、3千円位とのこと。ただし一般部外者は、日銀関係者(OBの奥さんを含む)と一緒でなければ入れないそうだ。最近は混むようになってきたが、10年程前は空いていて、料理もより豪華だったそうだ。

この話を家内から聞くたびに、日銀マンが羨ましかった。日銀マンには、会社が潰れたり、左前になったりして、何時クビになるかという会社マン共有の心配はないだろう。定年まで安泰に勤められる、定年後は、豪華な施設を利用して生活をエンジョイできる。


そこで日銀マンを知る手がかりになるかと思って、城山三郎著「小説 日本銀行:角川文庫;昭和46年発行」を読んでみた。内容は昭和21〜24年の超インフレ時代の日銀の実態を描くフィクションである。当時の超インフレをまともに体験した私に、城山が描く、焼け跡の東京の荒涼とした風景が生々しく甦ってきた。

主人公は、日本銀行の中でも出世コースの秘書室に配属された東大経済学部卒のエリート津上。東大を出てもコネがないと、天下の日銀には容易に入れないらしい。現に私がいた中規模のメーカーにも、東大法学部、経済学部卒や一ツ橋卒などがごろごろといた。

愚直な津上は、日銀総裁が唱導する通貨安定のための救国貯蓄運動に応えるために、父の遺産を定期預金する。ところが激しい物価騰貴で父の年金はゼロに等しくなり、田舎の母、妹は貧乏のどん底に陥る。だが、定期預金は下ろせず、八方塞がりとなる。この事情を知った裕福な家の娘の恋人には去られてしまう。金融面からの超インフレ対策を真剣に考える津上は、懸賞論文に応募し、1等入賞の内示を受けるが、コネ元である上司から受賞を辞退するよう勧告される。保身と出世の事しか考えない、御殿女中的な日銀マンにとって目立つことは将来不利だからとの理由で。勧告を断わった津上には、京都支店への転勤辞令がでる。所謂左遷である。
懸賞論文の内容は、日銀内部では全く評価されなかったが、ドッジGHQ経済顧問による金融財政の厳しい引き締め政策、所謂「ドッジ・デフレ」によって、超インフレは終息に向う。
もし私がいた会社なら、社員がこのような懸賞論文で入賞したら、当然社長賞が出たであろう。当時の通産省でも、某若手が懸賞論文に入賞した。彼は産業界でも高く評価され、その後出世街道を歩いた。日銀は役人の世界に近いと思っていたが、どうもそうではないらしい。もっともこれは、小説だからそのまま受け取ることはできない。しかし城山は慎重に取材して、この小説を書いたのであろうから、内容は真実に近いとみてよいだろう。