浅尾慶一郎・参院議員の悩み

私が住む神奈川4区の民主党公認候補について、誰を投票するか悩んでいたが、大変参考になるブログ「励まし 国会傍聴記by下町の太陽 宮崎信行」に出会った。以下に全文をコピーする。浅尾氏は民主党を除名され、無所属で立候補することになったが、私は彼に1票を入れる積もりである。


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政権交代をかけた選挙を迎え、私も大変なストレスを日々感じております。ですから、思うことはドンドン書いて出していかないといけないと思うのです。

 民主党ネクス防衛大臣浅尾慶一郎参院議員(神奈川)が24日午後3時、民主党の公認候補が決まっている神奈川4区への院替え出馬を発表し、民主党に離党届を提出しました。

 これに先立つ午後1時からの記者会見で岡田幹事長は、記者の質問に対し「参院議員の身分に関することだから軽々に答えられない」としたうえで、「浅尾さんが午後3時から記者会見をする」ことを把握していることを明らかにし、内ポケットから日程表を取り出し、午後4時半からの「岡田・埼玉遊説」の日程を知らせたうえで、その前の時間にぶら下がりインタビューに応じることを示唆する発言をしました。

 この時点で、対応は決まっていたようです。

 解散に関する一連の記事のひとつ、岡田幹事長が3点の事務連絡 両院議員総会のエントリーで書いたように、解散に伴い総選挙(8月30日)までは党の役員会と常任幹事会を開かず代表・幹事長に一任することが了承されていました。いわば“戦時体制”“戒厳令”を確認したわけです。なので、“常幹マター”であるこの件も、鳩山代表と岡田幹事長の決済で、離党届を突き返し、速やかにきょう付で除籍処分となりました。

 岡田幹事長名のコメント(PDFファイル)では、浅尾さんは「再三の説得にも応じず、身勝手な理由でわが党の公認候補予定者に対抗して立候補しようとしていることは、国民の期待を裏切る背信行為であり、党の倫理規範に反する許し難い反党行為である」「本日付で除籍処分とする」としました。政権交代をかけた戦いの最中の許されない反党行為であり、処分は当然ですし、党規約の解釈にかなっています。

 岡田さん厳しいですね〜。しかし、最後の一文に岡田さんの合理的厳しさと優しさ、そして政治的な柔軟性が内在していると思います。

 「なお、本処分は、解散後の常任幹事会決定事項が代表、幹事長に一任されていることにもとづく決定であり、倫理委員会への諮問については、党倫理規則第6条にもとづき、総選挙後に行うこととする」

 「総選挙後に諮問する」ということは、浅尾さんが無所属で神奈川4区を勝ち抜いた場合は、その後の倫理委員会の決定で「7月24日付除籍」が覆る可能性が残っているということだと思います。

 私はこのことに触れているのは、理論や理屈ではなく、自分の心情が初めにあることを正直に吐露します。

 このブログの左側に並んでいる海自のインド洋派遣&防衛利権(65)というリンクをクリックしていただくと、浅尾さんが登場する国会傍聴記が何本も出てきます。私は「守屋問題」など参院外交防衛委員会の論争にかなりの情熱を注ぎました。浅尾質問は私にとって大きな楽しみでした。

 私は1998年秋〜2002年春まで、日経新聞横浜支局記者をしていて、東京政治部出身ですので、日経社内であまり馴染みがない国政に関する記事は、ほとんど私が書いていました。

 参院議員・浅尾慶一郎誕生には複雑な経緯があります。地域事情に関することなので、不明確な点があればご指摘くださるか、お許しいただきたく存じます。浅尾慶一郎さんは国政初挑戦の衆院選落選後、1998年夏の参院選で神奈川選挙区(定数3)で初当選しました。

 連合神奈川は「日産自動車関東自動車工業など自動車総連」をはじめとした同盟系労組が、総評系労組よりも強い傾向が他県に比べてあります。新進党としてのぞんだ1995年の参院選創価学会出身の松あきらさんが旧民社党(同盟系労組)の応援も得て当選しました。この見返りとして、1998年の参院選では創価学会は候補者擁立を見送り、民主党公認の浅尾慶一郎さんを支援しています。これにより、総評系労組の応援を得た社会党出身の千葉景子さんとあわせて民主党公認2人を当選させることができました。

 で、私が横浜に移った後、1999年に公明党は自公連立に入ります。連合神奈川幹部や県議と話す時にいわゆる“公民協力”のバーターについて聞いてみたら、「松さんを応援して、浅尾さんを応援してもらったから、これで終わりだ」と淡々としていました。

 神奈川県民の45%は横浜市民です。県内において横浜市人口重心、交通、経済、行政など圧倒的な存在です。全県区選出の参院議員は千葉景子さんのように横浜市に事務所を置くのが当然だと思っていましたが、浅尾さんはずっと鎌倉市に事務所を設けていたようです。衆院神奈川4区への院替え出馬はずっと頭にあったのでしょう。

 神奈川4区に関して言えば、これは地元の方が判断すべきですが、民主党公認候補予定者の政治家としての器に関してはいささか疑念があります。私自身は当時市長だった彼と直接の面識はありませんが、湘南地域担当を兼ねる先輩記者から本人の話、経済界の話を聞いていました。絶対的な評価、相対的な評価とも私の中では浅尾さんに軍配が上がります。

 とはいえ、歴史的な政権交代をかけた選挙で、しかも解散後です。人口800万人を超える神奈川選挙区が補欠選挙になるデメリットもあります。除籍はしごく当然です。

 でも、浅尾さんが神奈川4区で勝ち上がれば、その後に党倫理委員会への諮問が残っているのですから、芽は残っているのです。岡田幹事長は当然、このことは気付いていると思います。岡田さんの合理性はいつも厳しさと優しさが裏合わせになっています。権利と義務が表裏一体であるように。

 すべては神奈川4区の主権者が決めることですので、私はなるべく口出ししたくありませんが、自民党現職もあまり強いとは思えず、小選挙区でも、浅尾さんには3つどもえの勝機はあると思います。

 自民党新自由クラブなど細胞分裂を繰り返しながら党勢を拡大しました。民主党もいずれ党員・サポーターが多い選挙区では予備選を実施するようになればいいと思いますが、現時点ではそこまでの余裕はなく、まずは国民全体に「政権交代」を問うて闘うことに全総力を掲げなければなりません。

 総選挙(8月30日)までは“戦時”だということですが、当選すれば8月31日以降、主権者から代議士に指名されたという執行部に対する権力が出てきます。苦しくても小選挙区で通れば、執行部からのストレス・プレッシャーは今より軽くなるはずです。

 私はここまで書いたら、だいぶ心が軽くなりました。あくまでも私見であることをご配慮ください。