「孝」について

7月19日(土) 晴れ
26℃、45%、28℃セット(冷房)
27℃(朝外気温)、27℃(朝室温)、32℃(外気温12.00)


全国的に梅雨明けしたとの発表あり。関東甲信地方は平年より1日、昨年より13日早いそうだ。
今日は、応接室の温度がクーラなしで、33.6℃、その暑さの中を我慢して漫然と、テレビのミステリ・ドラマなど視てすごす。亭主のこんな怠けぐせが不満なのか、午後、近所のパン屋へ、山食を買いに行けと家内につっつかれる。買って帰ってきた後は、暑くてたまらず、クーラを入れて涼しくした2階の書斎で、今パソコンに向っているところである。

夕刊によると、NY原油は4営業日続落したとのこと。このまま原油価格が落ち着いてくれれば、漁民の生活、その他が安定するだろう。原油バブルが弾けたのかもしれない。


儒教とは何か」をぼつぼつ読みはじめた。固い本なので、小説などのように、一気に読むというわけにはいかない。
夫婦別姓は、民法が公布された明治31年以後のことで、明治初期に姓を持つことになったが、明治20年代後半までは、女性は生家の姓を用いていたと書いてある。要するに、夫婦別姓は、古来の日本の伝統ではないことが分かった。それなら、女性議員が主張するように、夫婦別姓にしても差し支えないのでなかろうかと、思う。

儒教での<孝>は、(イ)祖先の祭祀、(ロ)父母への敬愛、(ハ)子孫を生むこと、の3行為をひっくるめているとのことである。孝を(ロ)の「父母への敬愛」だけのように考えやすいが、それは誤りであるという。つまり孝の行いを通じて、自己の生命が永遠であることの可能性に触れうる。そう考えれば、死の恐怖も不安も解消できるではないか。永遠の生命―――これこそ現世の快楽を肯定する現実的感覚の中国人(漢民族)が最も望むものであった、と著者はいう。以上は、第22頁までの序章の要約である。