裁判員制度

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早暁に録画した「朝まで生テレビ:どうなる!!裁判員制度」を視る。討論者はほとんどが弁護士で、他に大学教授2名、有識者2名ほど。賛成側、反対側が言うこと、どれもこれもごもっともで、素人の私は頷くほかない。先進国はすべて、陪審員制度などで、国民が裁判に参加しているからという意見に対しては、某教授が明治の鹿鳴館事件を思い出すと皮肉っていたのが、妙に頭に残る。
しかし、警察、検察、裁判馴れ合いで、有罪率99.8%という現状に対して何かをしなければならないという点では、全員が危機意識を持っているようである。最後のところで、「裁判員は量刑の判断をしない」、「裁判員守秘義務は外すべきだ」ということで、殆どの賛成を得たと思われる。
この番組の結論として、来年5月の実施は延期すべきだと提言するということになった。後期高齢者医療制度と同じく、関連法律は4年前に、小泉政権の時に、“官から民への流れ”の中で、国会で余り論議されることなく、全党一致で国会を通過した経緯があるそうである。


石原慎太郎「老いてこそ人生(幻冬舎、2002年発行)」を読み終わる。
石原氏は、1932年生まれ、現在76歳である。この本は70歳の時に書かれた。70歳といえば、84歳の私からみれば未だ青二才である。しかし共感できる内容が多い。流石に大作家、政治家である。


タイトルの由来は、この日本で顕著なことは65歳以上の年配者こそが、可処分所得と可処分時間が一番多い、つまり時間と金も豊富に使える、贅沢が可能な、生き甲斐の多い世代ということから、きているそうだ。半ば真実かもしれない。


嘘のようで信じられない話であるが、石原は、子供の頃ひ弱で、よく熱を出して寝込んでいたそうだ。それが旧制中学時代にサッカー部に入って滅茶苦茶にしごかれている内に、自分の体が見る間にまったくちがうものに変わっていくのを経験したという。このしごきはイビリとしかいいようもない、今だったら社会問題になりかねない程度に激しかったそうだ。この体験は、肉体だけではなしに彼の真の情念、情操そして精神をも培ってくれたと思うと回想している。


勿論若い時にしごきに耐えた人間がすべて大成するとは限らない。天稟の才能が‘しごき‘を通して石原を、今日あらしめたのであろう。


「老い」の話だから、当然病の話も多い。石原は、若いときにベトナムでA型肝炎にかかり、以来漢方薬を飲んでいるそうだ。持病に腰痛および胃アトニーであるという。


奥さんとの会話では「この先、私たちがもっと年をとった時、いったい誰が一緒に住んでくれるんでしょうかね」と、普通の人と同様の気の弱いところも見せている。

この本では、死についても多く触れているが、鈍感なのか、私は84歳になっても、死が近いとは余り感じない。死が怖いとも思わない。石原が敬愛する先輩賀屋さんは晩年に、石原の問いに答えてつぎのようにいったそうだ。
「人間死にますとね、1人で暗い道をいつまでもどこまでも歩いていくんですな。その内に残された家族は私のことを忘れてしまう。第一、彼等も忘れなきゃやっていけませんよね。しかしその内に当の自分も自分のことを忘れてしまうんですよ。それでね、いかなる意識においても霧が消えるみたいに消滅してしまうんです。だから死ぬというのは、ま、つまらんことなんですね。」