見城徹:編集者という病

6月19日(木) 薄曇り
25℃、60%、No Set
24℃(朝外気温)、24℃(朝室温)、25℃(外気温:13.00)


湿っぽい風が強い。九州では大雨情報。
生協へ、EPA(2袋:小林製薬)を買いに行く。ついでに松葉牡丹の苗3本を買う。

最近アリコから勧誘の電話が多い。何時も、“アリ“と聞いたら、切ってしまう。以前からテレビCMが多かった。外資系保険なので、知名度をCMで上げてから、電話直接勧誘しようとの作戦なのだろう。知名度がなくては、勧誘しようがないからだと思う。こちらは、生命保険とは無関係の老夫婦の二人住いなので、保険の勧誘は無駄である。だが、静かに夕食中の勧誘電話は迷惑至極である。


カリスマ編集者といわれる見城徹氏(幻冬舎創業社長)の自伝的エッセイ「編集者という病(2007年)」を読み終わった。以下に、印象に残った点を抜き書きする。


{劣等感のないやつはだめですね。ぼくは劣等感のかたまりで、人間の暗黒の感情というか、負の心理というのにわりあい通暁しているんです}


{編集者は作家に対して常に三枚のカードを持っていなきゃ駄目だと僕は思っているんです。たとえば石原さんの場合なら、一枚目のカードは弟である石原裕次郎ですよ。私小説を書いたことがない石原慎太郎さんに、いちばん血の濃い弟を描いてもらうことで、それまで見せたことのないもうひとつの貌を見たいと思った。・・・このカードは、1996年「弟」となって実現しました。

二枚目のカードは、“政治家・中川一郎の死”。何故、中川一郎は死ななければならなかったのか、それを書いてほしいと僕は思っていたんです。『太陽の季節』をはじめ「観念の悪」を書いてきた石原さんが政治に手を染めた以上、現実の悪を書かなければ、彼が政治家になった意味がない、と編集者である僕には思えたから。・・・ところが、石原さんは中川さんのことだけは「死ぬまで書けない」と言っている。お墓まで持って行くつもりなのでしょう。しかし、僕はまだ諦めたわけじゃない。僕は、これからもこのカードを切るタイミングを持って迫っていくつもりです。

三つ目のカードは、“老い”ですよ。ほかの作家じゃ駄目なんだ。『太陽の季節』で奔放な若き肉体を信じた石原慎太郎に、現実に肉体を蝕む老残を書いてほしいと思う。加齢とともに細胞が衰え、気力が失せて行くその様を、老いの悲しみに満ちた小説という形にしてほしかったのだけれど、石原さんはきっぱりと「僕は老いを迎え撃つ」と言うから、じゃあ生の言葉で綴るエッセイでお願いしますということになった。・・・

この三枚のカードは、普通のカードではない。キラーカードでなければならないんです。石原さんとはもう26,7年付き合っていただいているけど、ゴルフをしていても、食事をしていても、温泉に浸かってうても、「いつこのキラーカードを差し出すべきか」を、考えているんです。}


技術屋育ちの私には編集者というのは、全く縁のない世界に住む人間であるが、どの世界でも、超一流になるには、人一倍の血と涙の努力が必要なのだなあと感心した次第である。なお、見城氏は「老残」という言葉を誤解しているようだ。老いて「老残」と感じるかどうかは、その人の気持ちの持ちようであると、私は思う。


録画で、映画「マーキュリー・ライジング(1998年、米)」を視た。国家最高機密の暗号を解読した自閉症の少年の命を狙う、国家安全保障局と、この少年を救おうとするFBIとの間の死闘を描くサスペンス・ドラマであって、見始めたら止められないくらいに迫力がある。この映画は、国家と人権のどちらが大事であるかを問いかけている。アメリカならではの映画である。


同じく映画「D.O.A」を視る。タイトルはDeath or Aliveの略らしい。
文学の大学教授が、知らぬ間にバーで毒入りの酒を呑まされ、余命24〜48時間と告げられる。その間に、妻からの離婚宣言や学生の死などが起こる、どたばた劇のサスペンス映画である。これも見始めたら止められないように作られている。