落日燃ゆ:続き

2月1日(金)晴れ
24℃、30%(就寝前加湿)、24.5℃セット
1℃(朝外気温)、10℃(朝室温);13℃(外気温)(11.00)


今冬はじめて庭のテラスで午後の柔らかい日差しを浴びながら、のんびりとコーヒーを飲んだ。小鳥の囀りが何所からともなく聞こえてくる。隣家の杏の木の蕾はまだ固い。


「落日燃ゆ」を読み終わる。広田弘毅は貧しい石屋の子に生まれ、苦学力行して外交官の道を選んだ。それは、三国干渉の屈辱が少年の胸に深く刻まれ、外交の力の必要を痛感したからだという。今の日本の若者に、このような志を持って外交官を志すものがいるだろうか。

昭和の初めから敗戦後、広田が絞首刑になるまでの国際政治、軍事情勢が詳しく述べられている。まさに15年戦争史である。その間、広田は他に代わるものがいないと、口説かれて心ならずも首相になり、また3度外相になった。信念的平和主義者だったが、軍部の暴走、圧力で心ならずも日支戦争を止めることができなかった。したがって結果責任というか、意に反してA級戦犯になってしまった。この間、同期の吉田は駐英大使として貴族的生活を楽しんでいたそうだ。

極東軍事裁判の検事団が、軍人以外に文官から犠牲者を求めていて、その白羽の矢が不運にも広田に当ったらしい。広田は自分が責任を引き受けて有罪となることで、天皇を免責にしようと考えたそうだ。そして「自ら計らぬ」という生き方を貫いた国士であると、著者は、広田を高く評価している。