アフガニスタン

今日も外気は15℃、秋雨がしとしとと降る。

昼間は、テレビを視てぶらぶら過ごす。以前に録画しておいた、放送大学の、高橋助教授による「国際政治:アフガニスタン」を再度視る。

内容は、ほぼ以下の通りである。

「イギリスがインド大陸を徐々に北上して、一方ソ連が南下してきて、両国は国境を接しそうになったが、無理矢理戦争に巻き込まれるのは嫌なので、勝手に国境を決めて、クッションとしてアフガニスタンという国を作った。今中国の方に一寸首を出しているワハン地域は、両大国が国境を接しないようにするために、アフガニスタンの王様にお金を出して無理矢理引き取って貰った地域だという。

アフガニスタンの民族構成は複雑で、盆地毎に違う民族、宗派の人々が住んでいて、中央の王様に従うようなふりをしていた弱い連合国家だったそうな。最大の民族はパシュトン人で、パシュトン人は隣国のパキスタンにも国境地帯に沢山住んでいる。それでパシュトン人は一つの国になるべきだという運動が起こっている。つまりイギリスはパシュトン人が住む地域に人工的に国境を引いた。これが今日の混迷の一因になっている。

第二次大戦後、アフガニスタンは近代化のために、米国に軍事援助を求めたが、断わられた。米、パキスタンは同盟国だったから。
それでソ連に軍事援助を依頼して、多くの若者がソ連に留学した。彼らは共産主義を学んで帰国、1973年にクーデタを起こした。王様は亡命。‘78年に再びクーデータが起こり、共産主義中央政府が成立した。これに対して地方から激しい抵抗が起こった。政府はソ連に軍事介入を求めた。’79年ソ連が侵攻。アメリカは、金、武器などでゲリラを支援。10年後の‘89年にソ連撤退。その間にアラブ各国から義勇軍人(所謂アラブ・アフガンズ)が沢山やってきた。この中にビン・ラーデンがいたという、皮肉な結果になった」


一方、今日のテレビでは、アフガニスタンの北部で国境を接する独裁国家トルクメニスタン旧ソ連領)が紹介されていた。この国は、天然ガスの豊富な資源を有しており、そのため言論の自由がない他は、豊かな近代国家になっている。諸物価が只みたいに易く、スーパーには食品、電気製品などの物があふれており、国民は皆仕合わせに暮らしているという。テレビは詰まらない国営放送だけのようだが、各アパートにはパラボラアンテナが設けられていて、外国のテレビを自由に視られるという。

私見だが、この国から、アフガニスタンタリバンに武器その他が豊富に供給されているのでなかろうか。従って、無料のガソリンスタンドで給油して海上封鎖をしても、孔が開いたバケツの底のようなもので、この底からケシなどは、隣国トルクメニスタンに流れ、一方この孔から武器、食料などはどんどんタリバンに供給される。独裁国家だから、国連の云うことは聞かない。今のアフガニスタンは、国際社会の無法地帯になっている。これも、平和国家である日本とは無関係な大国(米、英、ソ連)のエゴによって生じたものであろう。尻償いはこれらの大国にして欲しいものである。