靖国神社参拝

今日も涼しい。月曜日なのに休日である。何に日かと思って暦を見たら秋分の日の切替休日らしい。そのせいか、東下の前家の取り壊しが今日も無い。静かだ。やれやれ。久しぶりに涼しいので、日吉に娘が建築中の家を見に行きたいと思ったが、明日は定期検診日なので用心して、その後にしたい。


我が家は、読売新聞を取っていないので、知らなかったが、ここ数年、読売の社説が“A級戦犯“の靖国合祀を批判してきたそうだ。この新聞の事実上のオーナーである、渡辺恒雄氏は「今後誰が首相となっても、靖国神社を参拝しないことを約束しなければならない。さもなければ、私は発行部数1000万部の『読売新聞』の力でそれを倒す」と公言していたという。


昨日自民党総裁になり、当然明日首相になられる福田さんは、‘靖国参拝しない‘派と伺っているから、読売新聞によって叩かれることはあるまい。この点では安定している。本来右翼的な読売新聞が、かように靖国参拝に拘る理由は、渡辺氏の若き日の回想記から、当然のこととして引き出すことができる。



すなわち「(略)ところが、その旧制東京高校は、極端な軍国主義的校長のもとで、配属将校、生徒監、教師らが、高校は士官学校たるべしといったばかりの全体主義的統制下にあった。
1945年、小学校卒業後たった6年で、これまたあこがれの東大哲学科に入学したものの、一日8時間のスシズメ講義を2ヶ月ほど受けただけで、新潟県の超過疎村でひどい棚田の開墾や、田植えに従事し、そこに赤紙、つまり徴兵令状が飛び込んできた。陸軍2等兵の生活は、朝晩上官による殴る、蹴るのリンチの毎日である。
こうして、戦時中の高校、大学生活のほとんどを工場、農村、軍隊で最低の筋肉労働を体験した。ローマの奴隷、米国の黒人奴隷もこれほど過酷な生活ではなかっただろうと思ったものだ。
それらが、すべて天皇の名において強制された。

敗戦により、解放された早熟な一学生として、廃墟の東大に復学して見た各政党のスローガンは、保守政党から、期待していた社会党まで、「天皇制護持」であり、「天皇制打倒」と書いてあったのは、共産党のポスターだけだった。だから私は、代々木の共産党本部に入党申し込みをした(略)」


以上のように、渡辺氏は、勉強したい盛りの20歳前後の戦時中、“天皇の名において”東條の軍隊によって、奴隷扱いされた恨みが骨髄に達しているようである。彼は、大学卒業後に保守に転じ、読売新聞のワンマン社長までに栄達した。しかし、80歳を越えても戦時中のトラウマは深く残っていて、東條などを合祀する靖国参拝反対を貫いているのであろう。
安倍も、渡辺氏のような辛い体験の万分の一でも味わっていたら、「戦後レジームからの脱却」、「美しい国へ」などと、天を見上げて歩いて泥沼に落ちるような馬鹿げたことはしなかったであろうと思う。

幸いに安倍倒れて、当分私の目が黒い間は、このような馬鹿げた日本になることはないだろうと、ひとまず安心している。