結婚は保険?安全保障?

昨夜、首都圏に上陸した超大型台風9号に伴う豪雨、強風がうるさくて、ヒューヒューと山鳴りの音、ザーザーという葉擦れの音、ガラガラ、ゴトゴトと物が落ち転がっているらしい音などで、眠りが浅かったせいか、今朝は頭が重い。
多摩川は一時危険水域に達したという。それにしても一昔前のような大規模な浸水等はなかったようである。アメリカからの内需拡大要求に基づく何百兆円にも及ぶ公共事業によって、インフラが整備されたせいだろう。アメリカさんは良いことを仰せられた。アメリカ様、様。


ところで理科系のため若い時に、哲学的、論理学的思考力を磨くことがなかったせいか、あるいは本質的に無宗教のせいか、自分が、抽象的なものごとに対する批判力が乏しいのを最近しみじみ感じる。他人がアアといえば、「なるほど」、カアアといえば「それもそうだ」で、自分自身の定見がない。情けない。


例えば、作家阿川弘之氏のお嬢さんである、阿川佐和子さんの著書「男は語る・・・アガワと12人の男たち(1992年発行)」をばらばらめくっていたら、城山三郎氏の所で、城山氏は「人生で一番幸せなことは、お金を使わないでやるべきことをもっていることだ」という言葉にぶっつかった。早速「そうだな、毎日書いているブログはお金がかからない。一番幸せなんだ!」と思ってしまう。

それって、ある人の講話に感銘して、5月3日に書いた「お金が有って欲望が小さい方が幸福である・・・」と矛盾するように思えるんだが、どうなんだろう?城山氏の説を拡張すれば、お金がなくても幸せになる方法があるというようなのだが?これは、禅坊主のような悟りきった宗教家の話で、吾々俗人の世界には通じないのでないかと。フラフラ思いあぐねている。どちらにしても、年金暮らしで、もう自分で稼ぐ力はないのだから、関係ないが。


さらにばらばらめくったら、作家の渡辺淳一氏が、妙齢の乙女(当時34歳の独身とお見受けした)である阿川嬢に、ずばっと「女の場合には、深い関係に入ると、そこから男が全部良く見えてくることがあるでしょう。・・・そういう経験ありませんか」と訊いている。
阿川「ないです。まだ。(笑い)」
渡辺「もったいない(笑い)。これだけは、勉強をいくらしてもわからないからね。」(略)
阿川「じゃあ、男は結婚なんかしないほうがいいのではありませんか」
渡辺「うん。だけど、結婚は一種の保険、安全保障みたいなもので、いつか心が弱ったり体が衰えたりしたときのために同伴者が必要なんだね。それは女も同じで。夫と妻では、どちらが惚けても一応最後まで責任をもってみてくれるという暗黙の了解があるけれど、愛人の場合はそうはいかない。老いたとき、心弱ったとき、だれかにいてもらうためには、やはり結婚が無難じゃないかなと。(略)あなたもやがて、ふっと孤独を感じたときや、ご両親がいなくなったときに、多少問題のある男だけど、それでも、そばにだれでもいないよりはいたほうがいいと思って結婚に踏みきるときがあるかもしれない」
阿川「女性にとってはどっちが分がいいのかしら。保険に入るのと愛人でいるのと・・・」
渡辺「美しい盛りは愛人がいいよね。年老いて、しわ寄ってきたら、自殺する。そういう気の強い人は愛人でいいんじゃないかな(笑い)
阿川「自殺しなきゃならないですか」(略)


何だか、若いうぶな阿川さんが、老練な愛欲作家に手玉にとられ、からかわれているみたいな変な対談である。その後、阿川さんが結婚したというお目出度い話を聞いた覚えがない。“たけしのテレビたっくる”でお目にかかる知性溢れる美人の阿川さんの御年は、今54歳位のはずである。渡辺説でいけば、お気の毒に、阿川さんは、やがて自殺する他ないのかもしれない。他人事といいながら、それに対する対案が直ぐ出てこないのがなんとも情けない。