62年前の今頃

今日は8月15日の終戦(敗戦)記念日。ひねもす賑やかな蝉時雨は、戦没者の御霊が生き残った者に何かを訴えているようである。

超右翼の安倍内閣の全閣僚が、今日は靖国神社参拝はしないというので、新聞やテレビはひっそりとしている。生活苦を知らないお坊ちゃんの安倍総理は、この度の惨敗でやっと日本国民の大多数は、“イデオロギーよりも、今および将来の生活に不安に関心が高い“ことをやっと悟ったのだろうか。これが総理のいう反省すべき点の一つだったのだろうか。

昭和20年(1945年)当時、私は本郷に通う工学部の学生だった。ほぼ連日の警戒警報で遅れた講義を取り戻すため、夏休みなしの大学生活だった。東大は幸いに爆撃の対象にならず、焼夷弾も落ちなかった。「戦後にアメリカは此処を占領軍の施設として使うために、無疵で残しておくのだろう」と、皆で噂話しをしたものである。

7月末か8月上旬か大昔のことなので忘れたがそのころのある日、大講義室で応用物理学の真島教授が、講義の合間に
「間もなく戦争は終わりそうだ。新聞のごく小さい記事を見逃さないように注意して読むと、それとなく分かる」と、少し声をおとして語られた。
「それなら嬉しいけれど。本当かなあ!先生、こんなこと言って大丈夫かなあ!」と密かに思ったものだ。

8月15日朝大学正門前を通ると、どこからともなく「今日正午に重大発表があるから、全国民注意してラジオを聞くように」との、ラジオの音が聞こえてきた。教室には誰もいないので、しかたないから近くの友人の下宿を訪ねて一緒に畳の上で‘重大放送’を聞いた。日本は負けて、もう空襲はなくなるので夜ゆっくり眠ることができる、徴兵されることはない、死なないですむ、などの安堵感と同時に、今後自分達の生活はどうなるのだろう?大学で学んだ技術を生かす途はあるのだろうか?と不安が大きく横切った。


2.3日後に大学に行ったら、三島主任教授が何ごともなかったかのように「当分の間何も考えずに今まで通り、受講、実験を続けるように」と冷静に言われる。もう少し今後の見通しとか、何か感想でも聞けるのかとの期待が裏切られた感じがした。今思えば、教授もお先真っ暗だったのだろう。

やがて学内に復員学生が続々と戻ってきた。将校服で恰好よく身を固めた者、よれよれの兵隊服にどた靴の者と様々である。「ご苦労様でした、とんだ災難でしたね!」と心の中で思った。