アフガニスタンのタリバーン

台風5号は遥か遠く津軽海峡辺りに去ったようであるが、相変わらず強風のうなりが煩い。


作家の井上靖は、1971年(昭和46年)の秋にアフガニスタン北部を、首都カプールから自動車で、灰色の岩山と岩山の間にある舗装道路を通って北に向かった際に、遊牧民やジプシーの群れが次々に南下しているのにぶっつかったそうだ。彼らは南の牧草地帯へ移動している。いずれもパキスタンを目指しているという。どこで国境を越えるのか知らない。旅券などというものは必要ないらしい(アフガニスタン紀行)。

約30〜40年前のアフガニスタンは、以上のように牧歌的に平和だったようである。ところが、それから半世紀も経たない現在は、その地で暗躍するイスラム原理主義勢力タリバーンに全世界が脅えている。最近では、韓国人男女23人が拘束されて、その中の2人(牧師)は殺害されたと報じられている。タリバーンの目的は、アフガン政府に収監中のメンバー18人の釈放と人質との交換だという。

このように平和が失われた遠因は、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻だったようである。以来米ソの代理戦争がアフガニスタンで行われた。タリバーンはその申し子だった。大国のエゴが小国を犠牲にしている。軍事小国日本も、自国の安全保障のために大国の尻にしがみついている。情けないが、これが人間の生き様というものである。正義とか人道、戦後レジームなどというものはこじつけに過ぎない。

現地の写真を見ると、軽そうな新鋭の小銃を抱えたタリバーン戦闘要員がホンダのバイクに二人乗りして砂漠を軽快に移動している。これらの武器、乗物やガソリンなどを何所で調達しているのか不思議でならない。中国を侵略した旧精鋭日本軍は、重い38歩兵銃を肩にして、ひたすら歩いたそうだ。

旧日本軍全員がタリバーンのような装備をしていたら、1〜2年で日中戦争を解決できて、屈辱の8月15日(敗戦)はなかったかもしれない。21世紀は、安倍総理が夢みるような‘美しい‘大日本帝国の世紀だったかもしれない。以上老いぼれの夢物語でした。