再び従軍慰安婦問題について

この数日間、はっきりしない梅雨空が続く。
久間防衛大臣が原爆発言で火達磨になって辞任した。

昨日の朝日新聞の「私の視点」欄で、米国在住の作家冷泉彰彦氏が、「慰安婦決議」に関して次の趣旨のことを述べている。
「・・・アメリカ人は、戦後に民主主義国家として再出発した日本と、第2次大戦を闘った敵国日本と区別をしている。・・・仮に当初の徴用が民間ベースに任意のものであっても、戦地へ送られて逃亡の自由がなければ現在の価値観からすれば奴隷なのであり、それに対する『狭義の強制はなかった』という説明は賛成反対以前に、全くピンと来ないのだ・・・そうした意味では、決議は本質的で深刻な問題をはらんでいる」


戦時中、ビルマ(現在のミャンマー)での一年近くに及んだ陸軍報道班員としての「徴用」生活、および再び中国で約6ヶ月間の報道班員としての「徴用」の体験がある、作家高見順の「敗戦日記」を読んでいたら、敗戦後の昭和20年11月14日の所に、「慰安婦」に関して次のような記事があった。

松坂屋横の地下室に特殊慰安施設協会のキャバレーがあるのだ。・・・その企画経営者が終戦前は『尊王攘夷』を唱えていた右翼結社であるということも特記に値する。

世界に一体こういう例があるだろうか。占領軍のために被占領地の人間が自らいちはやく婦女子を集めて淫売屋を作るというような例がーーー。支那ではなかった。南方でもなかった。懐柔策が巧みとされている支那人も、自ら支那女性を駈り立てて、淫売婦にし、占領軍の日本兵のために人肉市場を設けるというようなことはしなかった。かかる恥かしい真似は支那国民はしなかった。日本人だけがなし得ることでないか。

日本軍は前線に淫売婦を必ず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いと言って、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと『慰安所』の女になれと脅迫する。おどろいて自殺した者もあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかかる残虐が行われていた。

戦争は終わった。しかしやはり『愛国』の名の下に、婦女子を駈り立てて進駐軍御用の淫売婦にしたてている。無垢の処女をだまして戦線へ連れ出し、淫売を強いたその残虐が、今日、形を変えて特殊慰安云々となっている」


 しみじみ思う。残念だが、日本は「汚い国」である。所謂‘無宗教国’だから、正常な倫理観が働かない国なのだろう。今の中国と同様に、「金」がすべての国なのだろう。江戸時代には、指導倫理として儒教があった。明治、大正までは。その名残りがあった。昭和になって、恐ろしい‘軍国主義’が倫理に入ってきた。
戦後は、反動としての‘平和主義’と‘原爆反対‘が、正義のような気分が横行している。久間防衛大臣は、その犠牲者といえよう。