現御神否定の詔書

早くも初夏の暑さ。昼食後に薄曇りの中を、家内の運転でコーナン・ホームセンターへ行く。玄関脇の植込み用に灌木(柘植)4本など他食料品を買う。構内が広いので、少々歩き疲れた。

6月20日に植木屋さんが来て、庭木の剪定をしてくれた時に植込みの枯れかかった皐月を数本抜いてもらった跡が、露地になっていて淋しいので、此処に今日買った柘植の灌木を植える予定である。

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話は飛ぶが、作家高見順の「終戦日記(文春文庫)」を読んだら、冒頭の昭和21年1月1日の所に、昭和天皇の「現御神(アキツミカミ)」否定の詔書のコピーが載っていた。その要所を、以下に少し現代語風に直してメモしたが、否定の否定、否定で頗る分かり難い。注釈が付いてやっと「現御神」否定であることが分かる。


”・・・朕と汝ら国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説とによりて生ぜるものに非ず。天皇を以って現御神(アキツミカミ)とし、かつ日本国民を以って他の民族に優越せる民族にして、ひいて世界を支配する運命を有すとの架空なる観念に基づくものに非ず。・・・”



高見氏は、この後に、「天皇は現御神でなく、天皇と国民の紐帯は神話と伝説に非ず云々・・・・かようなことを、敗戦前にもし私が言ったら、私は不敬罪として直ちに獄に投ぜられたであろう。左様な言を天皇自ら言う。驚く可き変りようである。」と付け加えておられる。


上の詔書から読み取れる重要なことは、戦時中および戦前に「日本国民は他の民族より優越した民族であって、従って世界を支配する運命を有している」という選民思想が普及していたことを、昭和天皇が認めておられたということである。これはナチスゲルマン民族優越思想と同じである。このような傲慢な思想を有する当時の日本国民からなる日本政府が「慰安婦として数万人のアジア女性を強制徴用することを許可した」ことは充分に有りえることである。戦後生まれの日本人(日本国民)は認めたくないだろうが。