公的年金支払い漏れ

今日の朝日新聞の夕刊に「政府・与党は、公的年金保険料の納付記載のずさんな管理問題で、支給漏れがある人に全額を支払う救済法案を30日に提出し、週内にも審議入りする方針を固めた」と載っていた。

この法案が成立すれば、私も救済されるのであろうか?

私は、昭和22年9月に大学工学部冶金学科を卒業して、主任教授の世話で東京都江東区に工場がある東都製鋼(株)の専務O氏に面接して、この会社に入社した。その際O氏が「自分は、昭和6年に早稲田の法科を出たが、就職難の時代で、学歴を隠してある工場の電気炉の炉前工として数年間働いた。この経験が今に生きている。君も最初は工員として働いて、労働者の気持ちを掴んだほうが、将来のためによいよ」と言われた。「将来、部長にはなれるだろう。その先は色々のことがあって保証はできない」とも付け加えられた。まだ若く将来の夢に溢れており、世間知らずの私は、O氏の言葉に感激して、圧延工員として入社することに同意した。

工員生活は三交代制で、苦しかった。詳細は本題と関係ないので省く。一年間は生活のために、何とか我慢した。入社翌年の9月ごろ、思いがけなく、大学のG先生から来るようにとの連絡があった。話は、「T社(定年まで勤務した会社)の本社に入らないか」という夢のような内容だった。’地獄で仏に会った’とはこういうことをいうのであろう。それで、ある程度強引に東都製鋼を辞めた。


時は移り、昭和55年4月末にT社を定年退職した。T社時代の厚生年金受給の手続きは、T社の総務部がしてくれた。この時、受給額は、給与額よりも、年金支払い期間の長い方が有利であることを始めて知った。それで東都製鋼時代(1年間)の年金加入証明書を貰うために錦糸町だったか、亀戸にある社会保険庁支所へ行ったが、加入していないと窓口の人は冷たく言う。台帳を見せてもらったが、一緒に働いた仲間の名前はあるが、私の名前は、目を皿のようにして見つめたが無い。計算では、一年の差は月約1万円になるが、諦めた。東都製鋼(トピー工業に社名が変っていた)の総務部に電話したが、古い話しなので、要領をえなかった。原因が会社側にあるのか、社会保険庁にあるのか、心の奥底に、不審の念が潜んだまま今日まできた。

ところが、最近“年金記載漏れが一千万人”とかのニュースで賑わってきた。その上冒頭のニュースである。この法案が成立したとしても、何十年前の記載漏れをどう証明するのか、私は救済されるのか、藪の中である。かえって問題を広げるのがオチでないかとも思う。参院選挙対策のようだが、政府は馬鹿なことを考えたものである。何十年前の給与明細書を保存している者は殆どいないと思う。保存していた者が救済され、捨てた者が救済されないというおかしな事態が生ずるだろう。