ホームセンター

午後は晴れてきたので、家内の運転でコーナン・ホームセンターへ行った。土曜日のせいか可なりの人出。赤ちゃん連れの若いカップルも多く、皆楽しそうに歩いている。私達のように、片足を引き摺りながらカートを押している老夫婦は珍しい。でも若い人達に混じって買い物ができるのは、ささやかな仕合わせである。


先ず、屋外の園芸店で、植込み用のペゴニヤやゼラニウム等の鉢を数個、および大き目の素焼きの重い鉢2個や芝肥料10袋を買う。


次は、先日壊れた掛け時計の代わりの時計を買うために、家内と一緒に数十個の時計見本が並んだ壁面を眺めた。昔は、といっても10〜20年位前であるが、掛け時計は安くても1万円はしたものであるが、その半値以下で、電波時計が出ている。ジーットみつめていた隣の50台位の男性から「電波時計は電池が要るのだろうか?」と尋ねられた。「要りますよ。電波信号で正確に時刻調整されるから、電波時計というのです」と簡単に答えておいた。家内がデザインと値段で気に入ったのを選んで買った。


広大な屋内の品揃い豊富な色々の棚を見ている間に、ここは卸と小売が一体になった店舗であることに、改めて気付いた。すなわち卸と小売の間の口銭などが要らない分安くできるのだ。これでは、街の小売屋は壊滅である。商店街がシャッター街になったのは、必ずしも不景気のせいとはいえない。景気がよくなっても。シャッター街は残るであろう。自動車の普及の光と影の部分であろう。

物が安いだけが、全てではない。私のように、老人苛めの再発行試験に嫌気がさして、運転免許証を返上した老人には、ある意味で住み難い世になったものである。家内がまだ私より若くて運転ができるからよいものの、家内が運転をしなくなった後は日常生活が困難になるのは、目にみえている。