クリスチャンと安倍内閣

昨日、大学時代に同クラスで、比較的親しかったY君から久しぶりに電話があって、会いたいという。彼は、変った人間で神父となって、今大船駅近くの修道院に住んでいる。数年前に我が家に来たことがあるが、場所を忘れたから、地図で知らせて欲しいという。それが面倒なので、今日運動がてら私の方から修道院を訪ねることにした。

昼食後に訪ねたら、日頃の節制がよいせいか、凄く元気で、説教などで鍛えられた声は若々しく、口もよく回っていた。クリスチャンとして安倍右翼内閣が不気味のようで、その内に秀吉のキリシタン禁令のようなものが出るのでないかと不安に満ちた言葉で溢れていた。心の中では「一応民主主義が根付いた日本なので、そんなことはあるまい」と思ったが、反安倍の私でも厭きれるほどの、安倍批判の言葉が心地よいので、そうだそうだと煽っておいた。

彼の心底には、東京大空襲で恋人が焼死したという苦い経験による戦争反対の声がうごめいているようだ。それが契機になって、技術者でなく、プロのキリスト教徒への道を歩んだらしい。

あの苦しい戦争体験者の数が減り、戦争の辛さを伝える者が少なくなって、憲法改訂の動きが早まっている現状を嘆いていた。「憲法がどうなろうと、その頃、俺はこの世にいないから構わない」と言ったら、「無責任なことをいうなよ」とたしなめられた。

今度改定された教育基本法には、恐ろしいことが2箇所に隠されていると云う。それが何かを突っ込んで尋ねたが、「良俗」みたいなことをいい、要領をえなかった。念のために、帰宅後にネットで改定教育基本法を熟読したが、問題点らしいものには気付かなかった。

軽い高脂血症以外に悪い所はないそうだ。彼の健康法は、ジーットしていないで、動くことと、血栓予防のために水分を沢山とることだと云っていた。合理的である。テレビは夕方ちょっと視る程度だという。薬漬けの私とは生活態度が大分違う。