研究所同窓会

梅雨の到来を思わせる曇り空の中、JR鎌倉駅西口隣の銀座アスター、鎌倉賓館で、研究所時代の同じ研究室の一回り位若い仲間とランチを取りながら雑談をした。参加者は、山本氏、渡邊氏、斧田氏に私。
皆定年退職者だが、夫々優雅な生き方をしている。

山本さんは、趣味のお寺巡りで泰(タイ)は終わったので、今は中国のお寺を諸所訪問しているそうだ。僻地にあるので、交通に苦労する、日本の昭和30年代頃と思えばよいとのこと。通訳の費用は結構高いらしい。

一方、横浜市の国際学生会館主宰の留学生支援ボランティアでtutorもしているそうだ。30歳台の韓国人留学生(慶応大学生物情報科学科)に日本文化や歴史などについて個人的に話しをし、また論文の日本語の添削もしているという。愉しそうなので私もと思い、年齢制限はあるのかと訊いたら、無いだろうという。帰宅後早速家内に相談をしたら「自分の年齢をよく考えなさい」と、たしなめられた。

研究所や会社出身の一部の仲間と新漢詩の会を横浜で行なっているので参加しないかとも、山本さんは云う。新しいタイプの漢詩を各自作って忌憚のない酷評をし合う会とのことで、作らなくても、酷評を聞くたけでもよいという。彼の作品の一部のコピーを貰って、読んだら面白そうなので、「できたら参加する」と答えた。他の二人は黙って聞いていたが。

ランチ後、市役所前のCHAYAスターバックスへ行き、ここで3時まで雑談を続けた。話は、定年間際に交通事故で、記憶喪失になった堀○○久さん(社宅で隣りだった)に及び。最近の「障害者?に優しいツア」というテレビ番組で、屋久島を夫婦で元気そうに歩いている堀○○久(71歳)という名の人を視たが、面影が変っていたので自信がないと言ったら、年齢からみて彼に違いないと皆がいう。「車椅子でなかった」と言ったら、「やられたのは頭たけで、四肢は大丈夫だったようだ」と山本さんが言うので、帰宅後、早速電話したら、奥さんが「テレビに出たのは、私たちです」と仰せられた。ご本人が電話に出られたが、残念ながら会話が成り立たなかった。
こういう訳で交通事故は怖い、十二分に気をつけようと再度肝に銘じた今日でした。