一高寮歌祭

初夏を思わせる好日。出られるのは、今回が最後かと思って、初めて一高春の寮歌祭に参加した。今帰宅したところである。

場所は東大駒場コミュニケーションプラザ南棟2階の生協食堂、時間は12.00から16.00まで。
参加者総数約170名。その内、卒業生は約90名、その他は会友、東大卒、友誼校、遺族で、中には現役の東大生も一人いた。この寮歌祭が始まって以来の、最高の人数だと言う。

一高の制帽を被る者や、一高徽章入りの手拭で鉢巻する者、制帽に黒いマントを纏った者、更には一高の徽章がプリントされた白浴衣に袴姿の、変わり者などを混じえての、賑やかな歌祭りだった。4時間で小休止(その間に軽食とアルコールを摂る)を挟んで、ほぼ休みなしに60の寮歌を歌った。平均80歳とは思えぬ元気な老童に感心した。若い会友たちに支えられて、この歌祭りは続けられているようだ。卒業生たちは歌声を聴くと、皆青春の真最中にあるようだが、歩くときは私と同じように、少しよたよたしているのが目立つ。

体力の衰えた私は、4時間手拍子を打つたけでも疲れる。だが、明治、大正、昭和にわたる数々の寮歌に酔い、16〜18歳の年齢に戻って皆と共に楽しく若やいだ。

解散後に、仲良し組みのS君、MzにS君の大学時のクラスメートY君を加えて、南棟隣のカフェ.Jr.でコーヒーを飲もうということになって、入ろうとした。だが、その時間帯は女子新入学生の歓迎大交流会の貸切りで、女の園になっていて駄目だった。明治、大正、昭和の夢から覚めて、平成の現実に戻った。


仕方ないので、渋谷に出て、マークシティ3階のスタバを覗いたが、ここも満員で駄目。4階の奥まった所に、やっと落ち着いたカフェを見つけて、ここで18時まで歓談。新入りのY君は酸素ボンベを載せた車付きバッグを引き摺って寮歌祭に参加したが、酒を飲んだらボンベが不必要になったと頗る元気で、面白い話題を提供してくれた。今日参加のJ君とは絶交状態だなどと。一時は、奥さん同伴で家族ぐるみの交際をしていたそうだが、一寸した失言でこうなったそうだ。子供の喧嘩みたいな話だが、本人にとっては深刻なようだ。寮歌の一節「友の憂ひに吾は泣き 吾が喜びに友は舞う」の精神で、やがて二人の関係は修復するであろう。


JR渋谷駅への歩廊から左手側に見下ろされる、駅前のスクランブル交差点は黒山の人、人。凄い人出の、東京という大都会が秩序よく、整然と運営されているのに、改めて感心した。

東海道線には、グリーン車が付いているので助かる。居眠りしている間に、藤沢駅に着いた。障害者福祉タクシー利用券を使って、19時30分ごろ無事帰宅した。