権利と義務

私が生徒、学生の頃は先生、教授は生徒、学生に対して、絶対的な権力を持っていた。例えば3月1日のブログに書いた‘ウシ’というニックネームの中学先生のように。ところが、戦後は逆転とまでは行かないが、それに近づいてきたようである。

原因の一つは、昭和憲法により、国民が権利意識に目覚めたこと。
安倍内閣憲法改正によって権利に伴う義務意識の強化をしようとしているらしい気持ちも分かる。
次に私たちアナログ世代とは意識が違うデジタル世代が生れたことが考えられる。意識の何所が違うかは、日常接していないので、はっきりとはわからないが、漠然とそう思う。

昨日、孫から、騒いで授業の妨害をする生徒(中学生)に、「静かに学んでいる子の邪魔になるから、教室を出ていきなさい」とは絶対言えないという話を聞いて唖然とした。その理由は「自分は授業を受ける権利があると主張されたら、反論できないから」ということらしい。義務教育だかららしい。この場合の、先生側の旨い対策もあるようだが、聞き忘れた。

そうかと思うと、2月19日のブログにも書いたように、大学教授と女子学生の間でセクハラを巡って迷宮いりの訴訟事件が起きている。この事件の真相は闇であるが、今の学生は泣き寝入りはしない。

今日発売の「週間現代:4・14号」によると、東京大学大学院総合文化研究科教授(社会学専攻)の内田隆三氏(57歳)が東大院生のA子さん(30歳、96年入学、今は人妻)と、東京地裁で、03年以来泥沼の法廷闘争をくりひろげているという。余りに赤裸々でここには書きにくい(合意の上でとも受け取れる行為に基づく)、原告であるA子さんの主張に対して、内田氏は冤罪だと主張をして、両者の証言は完全に食い違っているそうである。この場合も物的証拠がないので、水掛け論で終わりそうだ。
恥を曝すような、A子さんの意図が私にはよく分からない。老教授と結婚したかったのか。

いずれにしても、教える立場の者は、今のデジタル世界で育った若者は異星人だと考えて、慎重に言動することが必要のように思われる。