道徳の時間

大陸側の高気圧が一時帰国したみたい。少し寒く、何となく風邪ぎみ。
写真は、昨年に新宿御苑の温室前で、満開の桜を撮ったもの。
鎌倉山の桜が、ますます色づいてきて華やかである。

昨日の朝日新聞一面に、「道徳、『教科』に格上げ案」という大見出しで、次のような記事が載っていた。

“政府の教育再生会議は学校再生分科会で、「道徳の時間」を国語、算数などと同じ「教科」に格上げし、「徳育」(仮称)とするよう提言する方針を決めた。「教科」になれば、児童・生徒の「道徳心」が通信簿など成績評価の対象になる可能性があるうえ、教材も副読本でなく教科書としての扱いになって文部科学省の検定の対象となりうる。ただ、反対論も予想され、再生会議での議論は過熱しそうだ。”


私たち旧い日本人は、明治以来、昭和20年8月の敗戦まで、末尾に現代語訳を引用したような、漢文の難しい教育勅語を小学校の時から暗記させられて育った。もっとも、頭が弱い私は暗記できなかったが、「君に忠、親に孝、友に信」の要点のみは、今でも心の隅に住みついている。

小学校のときは、「修身」という教科があった。教わった中身はすっかり忘れてしまって、何も残らない。学校では、いたずらをしない大人しい子供だった。だが、通信簿の「修身」の評価は低く、その基準が分からず、幼い心が痛んでいたのを思い出す。

中学(旧制5年)で、「修身」の時間があったかどうか定かでない。ただ、「漢文」という難しい教科があって苦労した。その中で、「論語」や「孟子」を学んだ。
高等学校(旧制)の理科に入った後も、苦手の漢文の授業がついてきて、「論語」を丁寧に教わった。記憶力の乏しい私は、内容の殆どを忘れてしまって、残るものはない。

すなわち、小学校から高校まで、「修身」というか倫理、道徳、人の道を叩き込まれたのである。このように戦中、戦前は、道徳教育は儒教の精神で貫かれていた。戦後、教育勅語が廃止されてからの倫理教育は、何を基準にして行われるのであろうかと、気になっていた。孫娘に「道徳の時間でどういうことを教わるの?」と訊いてみたことがある。返事はただ、「譬え話が多くて面白い授業」ということのみ、中身は本人も覚えていないようだったので、それ以上突っこむのを止めた。


そういう次第で「徳目」が、どういう教科になるのか、注目したい。異論が多く纏めるのに苦労するだろうと予想する。単に「教育勅語」のように、徳目を列挙するだけでは、実際の場面で、徳目の間に矛盾を生じて、三島由紀夫の小説「憂国(2.26事件外伝」」のように、モラルの高い人間が自死に追い込まれる可能性が強い。強い理念が必要であろう。これが、創価学会公明党)の仏教理念になるのか、キリスト教になるのか、それとも儒教か。政治的に一悶着が起こる懸念がある。公明党も、ここでは黙って引き込まないだろう。あるいは与党を割るつもりで、頑張るかもしれない、そうなると益々面白くなる。
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現代語訳―教育勅語
私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。
 あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。
 このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。
明治二十三年十月三十日