ラジカセ

今年一番の暖かい日、外気温は21℃を記録する。だが風は強い。花粉が怖くて外に永く居れない。

家内の運転で、車で5分ぐらいの所にある家電店デンコードへ行く。写真のような、チャチな東芝CDラジカセ(TY-CDS3)を買った。これから暖かく風のない日に、庭のテラスのテーブルで、音楽やラジオを聴きながら、のんびりとコーヒーなどを飲んで過ごすための用意である。
ラジカセの後ろの方に見えるように、冬越えのハイビッカスの花が一輪、か弱く開いた。この数日間の暖気に促されたのだろう。
書斎から見える鎌倉山は、冬枯れの木の間に若緑や白い桜花が陽に映えるようになってきた。今年も桜を見られるまで、何とか無事生きてきた。来年はどうだろうか?桜の頃まで元気にしておれるだろうか。


朝日新聞の夕刊を読んでいたら、以下の箇所が目に入った。
「安倍が国会で答えた“美しい国”とは、こういうことだ。『明治、大正期に外国人の多くが日本を賞賛した。アインシュタインは、謙虚さと質素さ、純粋で静かな心、これらを保ってほしいと述べた。質素で立ち居振る舞いが美しい日本人でありたい』

この報道が正しいならば、昔子供が偉い人に、貧乏のせいで○○だと誉められたから、大きくなってからも、○○でありたいと言うのと同じでないか。進歩が全く見られない。このような単純で、自主性なく、幼稚な心の持ち主を、総理とした日本人も大方が幼稚なのだろう。情けない。

中国の要人は、文化大革命の頃までは質素な人民服を公式の場でも着ていた。当時北京の街には、清潔で塵一つ落ちていなかったと誉めていた記事を読んだ記憶がある。国が貧乏の間は、国民は質素にならざるを得ないのである。今の北朝鮮がそうだ。これらの場合、大権力者が君臨していた、またはいる。明治大正期の日本も天皇が、神のような絶対的権力者だった。幸いにも、天皇ご自身は、権力の亡者であらせられなかったが。

今の若い人たちは、御真影事件という悲惨な事件を知っておられるだろうか。この事件で、作家久米正雄の父(小学校校長)が、責任をとって自殺した。アインシュタインが賞賛した時代の日本人は、このようにピリピリしていなければなかったのだ。