平和憲法の改悪

『誰も「戦後」を覚えていない{昭和20年代後半篇}』(文春新書)という本の書評によれば、この本の中で著者鴨下信一氏(1935年生まれ。TBSテレビ相談役)は、次のように、述べているそうだ。

僕が思うにあのとき(朝鮮戦争勃発のとき)初めて日本人は平和憲法に感謝したんじゃないでしょうか。当時の感覚としては戦争そのものより、アメリカの盾にされるのだけは絶対イヤだった。でもラッキーなことに平和憲法がある。そこに謳われた戦争放棄は沈黙の正当な口実になると。

いわば我関せずと逃げるところから戦後日本の平和は始まっていて、しかも特需は経済まで潤し、平和はいいなあ、高みの見物ってこんなに儲かるのかと、妙な智恵までつけちゃった。
今にいたる<見て見ぬふり>の日本人の平和観は純粋な反戦には始まっていない。

ぼくらは学校で「おい、あんまり朝鮮戦争のこと、大声で喋ると沖縄に引っ張られるぞ」とヒソヒソ話していた。「軍隊があったら、すぐ徴兵だったな」「戦争放棄だもんな」
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著者の生年から判断すると、朝鮮戦争のときの年齢は17〜18歳。私たちが太平洋戦争の時の年齢とほぼ合致する。それゆえ平和憲法に感謝した、著者の年代の気持ちはよく分かる。

近くは第一次、第二次イラク戦争の時も平和憲法のお蔭で本格的な派兵を行わないで辛うじて済んだ。

確かに当局者特に総理大臣は、アメリカに派兵を要求されて平和憲法を盾に拒否するのは苦しいであろう。その時は総辞職すればよい。総理の代わりというか、総理になりたがっている者は、いくらでもいる。国政が滞ることはない。総辞職した総理は、日本近代史に長く名を留めるだろう。アメリカから与えられた、この貴重な平和憲法を自ら改悪するのは愚の骨頂というものである。

平和憲法を放棄して、所謂憲法改正を行ったところで、日本国内のアメリカ軍基地がなくなるわけではない。実質的に占領下にあるのである。基地が存在する間、日本はずーっとアメリカの言いなりにならなけばならないことに、変りはない。