グローバル化の光と影

航空機などの交通手段や、インターネットなどの通信手段の発達で、私たちは、否応なしにグローバル化の波に呑み込まれてしまっている。グローバル化には光と影がある。各個人としては、光の部分の恩恵を受けたいと思い、一方影の部分におかれるのを避けたいと思うのはごく自然であろう。

先日(2月22日)のYさんの「お別れの会」のときに、久しぶりに会った旧同僚で、私とほぼ同年のSさんと立ち話しをした際に、彼が光と影の両方に曝されているのを感じた。

Sさんは、横浜の社宅時代に隣に住んでいたので、お互いに家庭事情をよく知る仲だった。当時幼い長女と次女、さらにその下の長男と3人の子宝に恵まれていた。体の弱い奥さんが当時、「自分はクリスチャンなので、避妊ができない」と、家内につぶやいていたそうだ。

間もなくSさんは、町田方面に自慢のマイホームを建てて社宅を出ていった。約10年も経った頃、奥さんが亡くなられたと聞いて、家内は社宅の奥さんたちと一緒に教会の告別式にでた。

その後、できのよい長女は医大を卒業して医者になったと聞いて羨ましいとひそかに思っていた。先日会った時に、長女の方と一緒にまたは近くに暮らしておられるのかと、何気なく訊いたら、「彼女はアメリカに滞在中に死んだ。次女はオランダ人と結婚してオランダに住んでいる。それで年に2回はヨーロッパへ遊びに行っている。今は世田谷のマンションに移り、北海道に別荘を持っている。北海道の冬の雪景色はすばらしいよ!」と思いがけない言葉が返ってきた。誰かが「再婚をしないのか?」と冷やかし気味に訊いたら、「そんなの面倒臭い!」とあっさり受け流された。


グローバル化で国際結婚が増えている。自然な現象で、止めようもない。
S さんの心の中は、一人残った娘さんが、ヨーロッパに結婚で去ってしまった淋しさが中々埋められないのでないかと察した。これがグローバル化の影の部分である。
一方そのお蔭で健康である間は、毎年ヨーロッパ旅行が気軽にできる。これがグローバル化の光の部分であると思う。


高校時代のクラスメートK君は、寮で同室だったが、その頃からいつも「淋しい!淋しい!」と言っていた詩人肌の男だった。それを聞いても、ホモでない私はどうしようもなかった。黙って聞いている他なかった。彼のお嬢さん(一人娘)は凄く優秀な才媛と聞いていたが、カルフォルニアの大学院に留学中にアメリカ人と結婚して、そのままアメリカに居着いてしまったそうだ。クラス会で会った時も、散々嘆き言葉を聞かされた。

彼は、やがて一部上場会社でトップの地位についた。そのお蔭で、ある時のクラス会の散会後に数人で、新宿の高級クラブに案内されて美女の歓待を受け、帰りはタクシーで送られるという楽しい思いをしたことがある。その時も代償として、“愚痴”を大分聞かされた。間もなく、還暦前に彼はこの世を去った。お別れの会は芝増上寺で行われた。一人娘さんをアメリカへ失ったことが、彼の性格からみて早死にの一因といえないことはないと思う。