昔の必修科目

今受験生にとっては、大変な時期だと思う。ぜひ頑張って合格して欲しい。
ところで昨年秋頃。必修科目未履修問題で世間が騒いだ。その影響を受けた受験生もおられることと思う。
ここで昔話をして、太平洋戦争が始まった頃の、高校受験(今の国立大学受験に相当する)の、必修科目の扱いについて触れてみたいと思う。

当時から受験勉強のために、生徒の勉強が英数国漢(当時の必修科目)に集中して、歴史や地理などの勉強をなおざりにするする弊害が指摘されていた。現に私など、国史の時間に先生の話を完全に無視して、数学の難問を解くのに夢中になっていた。ところが突然質問が飛んできた。内容は、今先生が話をしたばかりの所らしい。数学に熱中していた私には全く答えられない。そこで、普段は温厚な先生から大目玉を食らった。「人間として屑」とまで言われた。「どう悪口を叩かれようと合格すれば、勝ちなのだ」の信念で頑張った。片田舎の中学なので、受験に対する先生の協力は全く無かったといってよい。

以上のような弊害が目立つたのか、「国史」をもっと勉強させて「愛国心」を涵養しなければいけないとの声が強くなったのか、知るよしもないが、昭和16年に初めて、高校受験科目は抽選によって決められることになったといわれる。
そのために皮肉なことに文科の受験科目から、英語が消えた。文科志望者の修羅場は数学だった。そのお蔭で、無事合格できたと称する文科の生徒もいた。なお受験科目は試験日の3ヶ月前、すなわち12月某日に発表されたと記憶する。理科志望者は、「鉱物」や「生理衛生」の分厚い参考書を急遽買って短期間、その暗記に集中しなければなかった。

この馬鹿げた試験の反省からか、翌年からは、通常の高校入試に戻ったようである。