記念祭イブ

記念祭イブ(駒場祭に相当する)に出るため、今日も上京。幸いに4月の暖かさ。会場は、東大教養学部駒場キャンパス内というか、わが故郷の一高寮(向陵)の跡地に昨年秋に新設されたコミュニケーションプラザ南館3階の「交流ラウンジ」である。今回の出席の真の目的は、このプラザを体感することである。
正門内にはいると、休日かと思われるほど、ひっそりとして、駒場祭のときの騒然さは嘘のよう。
60年前の若木は、今は大木(老樹)に成長して青空に聳えている。エレベータに乗る時に同窓生と思われる老人が、「幼稚園のようだ」とつぶやいていた。昔の重厚な寮と比較すれば、安直な建物に見えるのだろう。私はこのようなモダーンできれいな建物の方が好きだ。
定刻の12時前に着いたら、既にここで会おうと打ち合わせ済みの、S君とMz君が先着していた。少し遅れてMy君も来た。出席人数は思いのほか少なく30名位。老齢と寒さのためだろう。しかも私たちより上の卒業生は、たったの4名という寂しさ。彼らは一高音痴としての有名人である。中には昭和7年卒業というから、94〜95歳と思われる方もいた。その元気なのには驚いた。あやかりたものだが、心臓を人工的に動かしている私には無理だろう。
座席での会食に始まった。世話役によると、今日の会は日経新聞の教育特集の取材対象になっているとのことで、同新聞社記者の挨拶があった。4千円の会費にしては、写真に示すように残すほどのご馳走が出て、かつ飲み放題。何でも、会場費は1時間2千円、料理は渋谷の某仕出し屋からの取り寄せとのこと。それで安いらしい。
スピーチが始まり、某先輩は「今や教育が緊急事だが、それには旧制高校を甦らせるのがよいと考え、仲間と会を作って、10年ほど前から文部大臣に陳情している」と時代錯誤的なことを言ってのけていた。下半身は衰えても、上半身の元気だけは溢れている。
戦後卒業の某氏は、「イブの日に訪れた従姉妹の友人をナンパしたのが今の妻である」とのろけていた。
同じクラスから4人も出ているのは珍しいので、理由の説明を世話役に求められた。やむを得ず、言い出しっぺの私が、脳梗塞による言語失調の後遺症を顧みず、マイクの前に立って「4人で年に数回飲み会をしている、今日の機会を利用させて頂いた」と簡単に述べた。「よく聞こえないぞ。消耗するな!マイクをしっかり持て」など、一高特有の無礼講な野次が騒がしかった。間もなく、こんな野次を飛ばせる先輩もいなくなるだろう。淋しいものである。

例によって寮歌合唱がはじまり、会場は騒がしくなってきた。不具者的に音痴の私は、手拍子を打つのみだが、その間に不思議なもので一体感と高揚感の感激みたいなものが湧いてきた。旧制高校の復活を望むのは、この感激が今の教育では得られないと考えるからでなかろうか。こんな感激は甲子園でも得られる筈である。下らない理由である。旧制高校は、猛烈な受験勉強後のモラトリアム期間というか、人間形成のための休暇期間で、そこでの学問的意義は余り感じられない。こんな悠長なことをしていたら、急速に進展するグローバル時代に乗り遅れてしまう。
終了時刻を30分延長するくらい盛り上がり、一同、このまま何時までもやっていたい心境だったが、切りがないので、“ああ玉杯”で締め括り解散した。
それから、私たち4人は学生で混んでいる1階のカフエテリアを通り抜けて、Cafe Jr.に入り、コーヒーを飲みながら、暫しの間雑談した。ここは読書、ノート書きや、会話を楽しむ、男女の東大生で賑わっていた。
都合でMy君が先に帰った後、ファカルティハウス内の同窓会事務室を訪れ、駒場図書館入室用のカード作成を依頼した。

井の頭線で澁谷に出て、夕暮れ時を“ロイヤル ホスト”に入り、ワインを3人で飲みながら、一日の余韻を楽しんだ。この時、偶々話題になった地球人口の急速な増大について、S君の「河童:芥川龍之介」の話が面白かった。