和民(ワタミ)社長渡邊美樹氏

今日も氷室にいるような寒い一日。だが近くの家の紅梅の花が綻び始めたのを見て、春の息吹を感じる。

午前、日本テレビの「波乱万丈」を視る。今日のゲストは、ワタミ(和民)社長の渡邊美樹氏である。47歳の、目の輝く青年実業家である。「和民」という看板を駅前などでよく見かけるが、胃腸が弱い自分は外食を、普通サンドイッチなどで簡単に済ませてしまうので、「和民」には縁がなかった。

社長の息子として、不自由のない豊かな生活を送っていた野球少年だったが、10歳のときに最愛の母を腎臓病で失い、間もなく父の会社が倒産した。その後、一転して祖母が作る一汁一菜の夕食という、満足に着るものもない貧しい生活に入った。母は元々腎臓が弱く、命と引き換えに美樹氏を生んだそうだ。

中学2年の時に、クリスチャンになったら母に会えると教会の人に言われ、母に会いたい一心で、聖書を徹底的に読み込んで勉強して、最年少の宣教師になったそうだ。その後、教義に疑問を感じて教会を去ったという。

その頃から将来は社長になると決意したそうである。一日20時間運送会社で労働して、300万円の資金を調達した。‘人’と‘時代’の後押しのある将来性のある職業を模索して、コンピュータ・ソフトと外食産業に絞り込んだ。その頃「つぼ八」の社長と知り合ってそのFC店オーナとなり、外食産業からスターとしたという。それまでに、経理など経営に必要な事柄を猛勉強した。間もなくバブル景気になり、バブルも弾けた頃、育ての親祖母が亡くなった。

景気に影響されない商売を求めて、居酒屋とファミリーレストランの中間に当たる、黙っていても灰皿交換をする居食屋「和民(ワタミ)」を創業。

出社は5時半。先ず600の店舗からのアンケートの中の、「クレーム」だけを全て目を通す。そして毎週一回の業務会議の議題に取り上げるという。客の言うことに間違いがあったとしても、「お客様はすべて正しい。これがサービス業の原点だ」で、多少ワンマン的なところがあっても、この視点で押し通すそうである。
夜は店の抜き打ち調査をする。例えば、揚げ物などで揚げ温度が足りない場合などには、見送る店長の肩に軽く手を掛けながら「大丈夫だよなど」と言いながら、注意するらしい。

家庭では、毎週土曜の夜に子ども達と、人間には幸せになる13の方程式がある「例えば、笑顔で元気良く話しかける。さらに、人の心の憂いが分かる人になる。」などについて、話し合うそうである。

元々教育業にも入りたったが、外食業との二足の草鞋は無理なので、止めていたが、最近余裕もできてきたので、郁文館夢学園の理事長に就任して、若者の教育に張り切っている。
さらに最近は介護施設もオープンして、そこに自分の父母や祖母がいるという思いで運営しているという。老人臭が好きだという稀な人物である。

絵に描いたような理想の人生を実現しつつある渡邊美樹氏である。
生まれながらの能力と夢が旨く噛みあったのだろう。