戦後の国字危機

45歳以上の方にはよくお分かりいただけると思うが、私の学生時代は勿論社会人になってからも、日本語を印字するのは大変だった。職場には和文タイピストというタイプ専門の女性がいて、外部に出す公用文書など特別に重要な文書はタイピストが印字していた。社内連絡用の文書や研究レポートなどはすべて手書きだった。素人が、鉛の活字を拾って和文タイプを打つことは至難だった。このような状態では、日本は永久に文化先進国になれないという危惧が有識者の間に広まった。これらの有識者が“カナモジカイ“を結成して、漢字廃止運動を行なったらしい。
“カナモジ”だけだったら、英文タイプライターに似た原理で簡単に日本語を印字できると考えたせいかもしれない。
当事者でない私は、詳しいことを知らない。ところが1985年に東芝総合研究所の森健一氏が和文ワープロを発明して、かなー漢字変換を可能にした。そのお蔭で、今日ではパソコンやケイタイで簡単に漢字混じりの日本語を入力できるようになった。
そのため今日、私達は伝統的な日本の国字(日本語)の使用に何の不都合も感じない。


敗戦後、日本の国字は危機に瀕した。以下、「日本語と私:大野晋著」(新潮文庫)による。

アメリカは戦争末期に日本軍が決死の抵抗と攻撃を繰り返したのを見て、それは日本人が戦争全体について情報を十分に得ていない結果だと判断したらしかった。日本人はあの悪魔の文字である漢字による新聞を与えられているから、それを読むことができないに違いない。軍国主義を打破して人民の力による政治経済を運営させなくてはならない。そのためには漢字を全廃して平易なローマ字に替えさせ、学習に近づかせ情報を得やすくさせる必要がある。

アメリカは教育視察団を派遣して日本の教育制度を査察し、その改革、ローマ字の採用を勧告した。当時勧告とは命令だった。その報告書が公表されたのは昭和21年春である。戦前からあった“カナモジカイ“は、年来の主張を一気に実現する好機としてしきりにCIE(GHQ民間情報教育局)に働きかけた。
CIE(GHQ民間情報教育局)は、日本の国字問題に介入するからには、日本人がカナと漢字の文章を、どの程度に読み書きできるのか、実地に調査し、数量化した結果を見るべきだと考えた。計画は、昭和24年夏に実施された。その結果は、日本人の識字率は世界各国の中でも郡を抜いて高かった。おそらくCIEは、この調査結果を見たのだろう。そして日本の国字問題から手を引いた。