成人式の日の外出

空気がちょっと冷たいが、風が弱い晴天で暖かそうなので、大船へ行った。Oh Plaza 4階にある古書店(今はリサイクルブック店またはエコブック店などとしゃれた名前がついているようだ)で、要らなくなった新本同様の本(定価1500円位)を2冊売りたいと言ったら、さらさらと中味を調べて「非常にきれいです」と言って、計300円で引き取ってくれた。いままで、これらの本は‘ごみ’として出して市役所の専用車で粉砕して貰っていたが、勿体ないと思って今日売りに出した次第である。

新本同様の本は、定価の一割の値で引き取り、五割の値で売ることが分かった。順調に循環すれば、四割の利益が出る計算になる。損はしない商売である。ついでに、(上)を今読みかけ中の「ダーウインの使者(下)」を買った。

帰りに、行きつけのカフェColoradoへ寄り、「AERA 1月1−8日合併号」を読みながら、サンドイッチとコーヒーのランチをとる。


「日本ビクター身売り先は外資ファンド」という記事が目につき、他人事でない関心を持って読んだ。ビデオレコーダがDVDレコーダに食われて、主な利益源だったビデオ・ライセンス料が入らなくなったため、同社の経営が苦しくなった。それで、55%位の大株主の松下電器が身売り先を募ったが、再売却先としてサムソンや中国企業でないことを条件としているため、外資系ファンドが二の足を踏んでいて、身売りが難航しているということである。

これは、イノベーションに立ち遅れた企業又は国は滅びる運命にあるという話しの典型的例である。

企業にとって、主力製品に替わる同様目的の革新的製品を開発販売するか、主力製品の製造販売を続けるかの選択肢を決めるのは至難である。主力製品を続ける方が当面の利益が大きいからである。しかしこれを誤ると命取りになる。ソニーも従来のCRTタイプのテレビにこだわって、平面テレビに出遅れて、一時危機に瀕した。

「左手のピアニスト館野泉 絶望からの再出発」という記事は、胸を打った。館野氏は、フィンランドと日本を舞台に活躍しているピアニストであるが、脳出血で右手不随になった。だが、協力者が左手用の楽譜を提供してくれたため、左手のみで見事な演奏ができるようになったという。

フランシス・フクヤマ藤原帰一の対談」の内容は、頭によく残らないが、ブッシュ非難で一致しているようで、読んでいて心地よかった。


養老孟司「省エネ無用 石油を使い切れ」は、戦前の生活に戻れば、現代の諸問題は解決するという、養老氏らしいユーモアのある逆説的暴論である。詳しい内容は忘れた。


付近で、晴れ着姿の若い女の子を見かけて、今日は成人式の祝日なのだな!と思い出した。