ホワイトカラー・エグゼンプション

久しぶりの雨の一日。ぶらぶらと「ダーウィインの使者:グレグ・ベア」(ソニー・マガジンス刊行)などの本を拾い読みして過ごす。

今年に入ってから、テレビのニュースなどで、ホワイトカラー・エグゼンプション(white collar exemption)という、手っ取り早くいえば、“年収約400万円以上のホワイト・カラーの残業代がゼロになる”法案が、今年の国会に提出されるということで物議をかもしている。

マクロ的にみれば、企業がグローバル競争に生き残るためには、経営者側にとってやむを得ない措置かもしれない。

だが、個人レベルでは、ローンの返済計画が狂ってしまうなどとマイナスの影響が大きいようで、反対意見も強い。しかし労働組合が力を失い、与党が圧倒的多数を占める今日では押し切られそうである。

考えようによっては、ホワイトカラーは、残業せずに定時に堂々と勤務先を出られるのだから、独り者はデートの時間も増え、家族持ちは妻や子供達と夕食の団欒を楽しめて良い制度と思われる。昔からアメリカやドイツではそうだったようである。日本のみが、労働後進国だったのかもしれない。


平社員で会社勤めをしていた若い時、私は残業代が貰える人たちが羨やましかった。後で社長になったやり手の、私の上司は部下の残業を好まず、定時になったら「早く帰れ」と言い、自分もさっさと帰ってしまう。しかし成果には煩い。仕方ないから、家でできる仕事は家でしていた。休日出勤などした覚えがない。
30台半ばで管理職になってからは、当然残業代は付かない。定時になったら、部下の残業におかまいなしに早々に帰宅して、家族と過ごすか、文献読みやレポート書きなどの仕事をした。そのせいかどうかはよく分からないが、余り出世しなかった。
こういう長閑な会社勤めができたのも、高度成長期で、しかも競争は主に、賃金レベルがほぼ等しい国内だけだったからかも知れない。