さらば!!ゆとり教育

ゆとり教育”の旗振り役として活躍した寺脇研氏が、去る11月に静かに文科省を去っていった。惜しむ声は聞かれない。あれほど騒がれた“ゆとり教育”とは、なんだったのか? 遅まきながら、少し勉強してみようと思って、「21世紀の学校はこうなる(“ゆとり教育”の本質はこれだ):闘う文部官僚 寺脇研新潮文庫:2001年発行)」を読んでみた。

書き出しからして、著者寺脇氏の認識不足が露呈されている。2,3の例を挙げると、
①「昭和20年代の子どもたちは、学校の中でしか知識や技術を学べなかった(12頁)」とあるが、焼け野が原の中にも、粗末ながら図書館や本はあった。その気になれば、読書によって知識や技術を学べたのである。また進駐軍関係者などによる英会話教室などは、アメリカに憧れる子どもたちで溢れていた。20歳台の私などは、恥かしくて一緒に学べなかった。さらにラジオ自作教室などもあり、学校以外でもやる気のある者は学ぶことができたのである。
要は、子どもや若者自身に、やる気があるか、ないかの問題である。
これは、何時の時代でも変わらない。

②「子どもの教育を、家庭、地域、学校の三者が行うという人間社会の本来の姿にしましょうよ、というのは2002年度をひとつの区切りとして文部省が進めている今回の教育改革なのです(14頁)」とあるが、著者は子育ての経験があるのだろうか? 

どんなに優秀な親でも、子どもに勉強を教えられないというのが常識である。「こんな簡単なことが分からないのか?」と、つい腹が立って親は怒ってしまう。それを子どもは嫌がって親から教わるのを拒否するという悪循環が起こるのである。そのため、できない子の親は家庭教師を雇うか、塾に行かせるのである。まして、共働きが当たり前になってきた21世紀では、親に子どもを教える時間的余裕がなくなっている。

大店舗やコンビニなどの進出で商店街がシャッター通りとなってしまい、地域社会が崩壊した今日では、子どもの教育を、地域が行うということは夢のまた夢である。学校(か塾)に任せる他ないのである。教師の質さえ確保できれば、教育はその専門家である教師がいる学校に任せるのが一番よいのである。
20〜30年前までは家庭で行なった、老人介護を専門家がいる介護施設に任せるようになったのと同じように。


その他、この本の内容には疑問点が多いが、きりがないのでこの辺で止めておく。