中国躍進の先覚者

数年前に、日本経済新聞社発行「私の履歴書(経済人):第1〜18巻」を図書館から借りて読んで、特に印象に残った箇所をコピーしたことがある。筆者は、あの戦争中に経済の第一線で活躍した人たちであって、履歴書を書いた当時は、中国は文化大革命の混乱最中(昭和45〜50年頃)にあったと記憶する。その中で、中国の将来について、今になってみると可なり正確に予測しているものがあったので、以下にコピーから書き写した。
大事を成した人は、予知能力(嗅覚またはカン)が優れていた。


鮎川義介満州重工業総裁):巣鴨卒業後、私は隣の中国大陸を終始観察した。そこでは指導者が共産主義イデオロギーをかざして国家統一を図り、今日の中央政権をつくり上げている。旧中国は阿片戦争以来内乱による民衆の疲弊は極度に達した。加えて外国の植民地化政策に反して起こった民族主義を推進するための手段として共産主義が選ばれたといえる。その必然性は首肯できるのであるが、今や完全な独立国として世界に比肩し、やがて国の富が増すにしたがって自ずから自由主義に移行せざるを得なくなるのでないかと考えるのである。


小川栄一藤田観光社長):このマレーで、私は華僑の精神というものを教えられた。ある日、マレー第一のゴム園主が私をたずねてきた。「戦争はいつか必ず済む。それまで自分たち家族300人はゴム園の小屋にはいってゴムの手入れをしながら待つ。その間私の家を無償で借りてくれないか」 
私はその城のような家に表札をかけさせることで引きとらせたが、ソロバンでは日本人は華僑に絶対に勝てないことを知らされた。


松永安左エ門(東邦電力社長):米大陸に匹敵する資源、米国よりも広い国土人口を擁しながら、何故支那は停滞を長く続け発展しないのか?との疑問を持っていたし、日本の技術と資金、支那の資源と労働力を相互のために、提供し合い利用する方法を講ずれば、西欧の文明諸国に比肩する両国家の建設が、アジア人のアジアという形で実現すると期待していた。


市村清(リコー創始者):私は、シナ人の日常に接して、この民族は容易ならざる民族だと感じていた。彼らの考え方は、むやみに夢とか理想とかは口にせず、堅実だ。用事をさせても意外に頭が働き、思い切ったことをやる度胸もある。いまとやかくは言えないが、要するにこの数億の民をだれかが結集したらたいへんな国力を生みだすに違いないと思った。