朝青龍

今日はコバルトブルーの空の下、激しい木枯らしが吹き荒れる一日だった。

文芸春秋」(11月号)に載っている、作家津本陽横綱朝青龍の対談が面白く、かつ色々と考えさせられるものがある。以下に特に印象に残った点を抜き書きする。()内は、私の感想である。
朝「北海道に『ジンギスカン鍋』というのがありますが、我われにとって大事な英雄の名前を、ちょっと軽く使いすぎているような気がするのです。たとえば『モンゴル鍋』にするなど少し考えてもらえればと思いますね」
(そういえば、昔『トルコ風呂』という、いかがわしい大人の遊び場があって、トルコ政府からの抗議で業者が”トルコ”という名を使うのを自主的に止めたことがあったっけ)
津「それにしても高校に入る年で、よく日本へ行こうという決心をされましたね」
朝「日本は素晴らしい国だなあという思いが子供の頃からあったのです。もっとも学校では、日本とアメリカはものすごく悪い国だと教えられていましたよ。当時、モンゴルは社会主義でしたし、ノルモハン事件もありましたから、今の北朝鮮で言われているように、日本は戦争を起こして人を殺した国だと言われていました。でもメイド・イン・ジャパンの製品は非常に質が高い。それを作っている人の国だから、日本は素晴らしいところだと僕自身は思っていました」
(子供に対する思想教育の効き目はあまり無い。中国や韓国でもこうなることを願う)
青「チンギス・ハーンが大帝国をつくりあげた当時は、同じモンゴル人であっても、隣の氏族がいきなり攻撃してくるということが普通に行われていた。その中で強い者だけが生きていくという世界だったのでしょう。今でも基本的には同じでないですか。弱肉強食といいますか、強い者がいいものをとり、いい嫁をもらう。あの時代は、生き残るためであれば人殺しなども当たり前だったと思いますよ。彼らの生きていくうえでの能力はものすごく優秀だったはずです」
(今の甘え構造の日本で、子供の生きる力が弱くなったのは不思議でない)
津「私は以前に取材で中国側からノルモハンまで行ったことがあります」
朝「そうですか、僕はノルモハンに行きたいのです。亡くなられた日本の兵士や、モンゴルの兵士にお線香をあげたい。ノルモハハンではお墓参り以外に、ちょっと考えていることもありますし」
津「考えていることとは?」
朝「モルモハンで捕虜になった日本人兵士と、モンゴル女性との悲恋を描いた小説があるのです。これがとても感動的な話なので、何とか映画にできないかと思っているんですよ」
(土俵の鬼は、案外ロママンチストですね)
朝「モンゴル人は、昔から大きな寒暖の差や、移動生活に慣れているのです。だからどんな国に行ってもすぐに慣れてしまう。食事も合うし、言葉もしゃべれるようになる。私の日本語には訛りもないでしょう」
津「本当にお上手です」
朝「自分だけでなく、モンゴル人にはそうした才能があると思うんです。遊牧民だから、どんな環境でも生きられる能力が身についている」
(民族の誇りがあるから、人は外国でも堂々と生きていける。愛国心は強要されなくても、その時になれば自然に生まれる)