御先祖様に申し訳ない

久しぶりの曇天の中、深沢の病院へ行く。目の痒みが中々止まらないので。同じ症状で、以前もここで点眼薬を貰ったが、利かなかった。病院へ行って待たされるのが嫌なので、市販の点眼薬を色々と試みたが駄目なので、遂に病院に戻ることにした。近所のT医院にも眼科があるが、ここでは必ず視力検査をする。これが面倒で嫌なのでここには行かないことに決めている。
殆ど待たされずに診察。副腎皮質ホルモン系でなく、今までよりも少し強く痒み止めの効果があるというリボスチン点眼薬と、角膜保護に利くらしいヒアレイン点眼薬を処方された。
秋でも花粉は飛んでおり、またハウスダストも目のアレルギーの原因になるらしい。今後は、治るまでここに忠実に通うことにしよう。
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暇人なので、帰りに図書館に立ち寄る。ここに陳列されている、「私の履歴書:文化人」(日本経済新聞社)の中から、往年の銀幕の女王、田中絹代の履歴書を読んで、田中が鎌倉山に居を構えた時期を調べた。戦時中に鎌倉山に住んでいた以外の情報はなかった。帰宅後、ネットで調べたら、昭和11年、26歳の時に鎌倉山旭ガ丘に絹代御殿を新築したという。時は移り、今“みのもんた“は、この跡地に御殿を建築中とか(このブログの10月2日に書いたように)。何時の時代も、芸能人は当たれば金持ちになれる。何となれば、昨日のブログに書いたように、人を楽しませるのは、人生の意味に適うから。

だが皮肉なことに、絹代の履歴書によれば、母親は絹代(山口県下関生まれ)の映画界入りを始めは反対したそうだ。当時(大正末期)は“役者乞食”と言って、芸能人は蔑まれたそうである。それで「平家の末裔の名を汚しては、御先祖様に申し訳ない」という理由で反対したそうである。
戦前は「御先祖様に申し訳ないか、どうか」が、教育勅語とは別に、モラル(社会規範、道徳)の基準だったようである。現代は、モラルの基準がハッキリしない時代である。安倍総理教育基本法改正の意欲が分からなくもないが、これは法律を変えたたけで片付く問題ではないと思う。

かくいう私も、小中学生の時に明治11年生まれの祖母に“御先祖様・・・”と言われながら育ったが、昔も今も、“御先祖様・・・”という気持ちは全くない。ただ、警察のご厄介になるような事はしなかったのが取りえであると思うのみ。だから、少年期の頃いくら学校でモラルを詰め込んでも効き目はない。子供の環境の方が大事だと思う。