旧友との会食

今日、研究所時代の仲間6人と、横浜のスカイビル27階にあるクルーズクルーズで昼食の会食をした。私が最年長で次の年長の沖さんが78歳、他は70歳を越えたばかり。思い出話やら互いの近況報告などで3時間近く愉しく話がはずんだ。沖さんと野中さんはこの会の新顔である。
皆さん優雅に退職後の生活を送っている。
沖さんは、故郷の島根県に住む一人暮らしの102歳の母親を看るため、月の半分は里帰りするとのこと。医学の進歩で長生きするのはよいが、老人が老人を看るという大変な時代になってきた。介護保険があるから助かると言っていた。
彼、血小板数が3万個ぐらいと少ないので、抜歯ができず、従って入れ歯の治療もできず、歯無しのそうだ。容貌がすっかり変わった訳が分かった。血液凝固剤を飲めばよいのであるが、そうすると脳梗塞になるおそれがあるので怖くて飲めないらしい。
秀才野中さんは、会社の利益になるような研究開発しかできない雰囲気になじめず、定年前に都内の大学教授に転身し、そこでの定年後は島根県の大学教授に転じ、そこも定年になり、今自宅のある横浜に住んでいる。沖さんと島根県で話題がはずんだ。島根県鳥取県でどちらが、西の方にあるか分からない地理音痴の我々が色々と質問した。山陰と山陽の間に高速道路が開通して、浜田市から広島市までバスで2時間で行けるようになって、浜田の客は広島にとられてしまい、空洞化という瀬戸内海の大橋と同様な悲劇が起こっているとのことだった。

研究所時代の同僚堀田さんは、10年前ほどに単車で大事故を起こし、頭脳を強打して記憶喪失になったと聞いていたが、幼い頃のことから徐々に記憶が戻り、小学、中学、大学時代と戻って最近やっと近年のことを想起でくるようになったという話を聞いて記憶のメカニズムの不思議に思いをめぐらせた。
クルーズクルーズは女性客で満員に近いほど賑わっていた。
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帰宅後、自由人の会のM君から電話があり、近く1週間位都内の老人ホームに体験入所すると言っていた。奥さんの入院治療が長引きそうなので、家事一切ができない彼は、有時に備えて色々考えているようである。
先日もこの会で話題になったのであるが、技術系でも化学屋は化学実験を行っているので、家事に困らない、一方機械屋は、若い頃から専ら図面引きなので、家事が苦手という結論に達した。M君やS君は機械屋である。私はどちらかというと化学屋なので、5年間の単身赴任でも困らなかった。S君は奥さんが居なくなったら何もできないとこぼしていた。