湘南アイデンティティ

台風13号が九州に上陸した後、日本海に沿って北東上中のため、南から湿った空気が入ってきたせいか、じめじめして気持ち悪い。


週刊誌は沢山あるが、私は今のところ、毎週「週刊ポスト」を買って読んでいる。理由は、
*西村京太郎の長編連載ミステリー「湘南アイデンティティ
の続きに興味があるからである。
同じ湘南は鎌倉に住む私は、始め何となくこのタイトルと以下に述べるような、現代的だが非現実的なストーリに惹かれて連載の途中から読み出した。以後、中毒というか依存症というか次の号が発売される日にはうずうずしてくる。
「湘南の平塚のマンションに住む恵は、同じ湘南に住み東京に通う5人のエリート男たちと、週一回の同棲契約を結び、つき合い始めて二ヶ月経ち、男たちはさらに親密な関係を恵に求めるようになってきた。そんななか、男たちの一人の美人秘書であり愛人であるはるかが殺された。
その直後に、惠の招きで5人の男たちは始めて一堂に会した。その折、惠は同棲契約をした理由は、『卒論のモデルが欲しかったためです』と告白した。(9月29日号の時点)。」

日中戦争の責任について、
9月14日のブログで、軍国主義者と一般日本人民を分けることに関する朝日の社説について述べたが、今日の朝日の「私の視点」に、国際関係史専門の小菅信子教授の比較的明快な所見が出ていた。これを忘れないようにするため、以下に論旨を要約して残すことにする。

国民を、戦争指導者と、彼らに「騙されて」戦争協力した一般国民とに分け、一般国民と戦勝国の国民や戦争犠牲者との間で和解を促すという発想は、大戦後、戦勝国が日独に対してとった、敵対関係の修復方法なのである。
敗戦国民に対する「線引き」は、敗戦国の国民に対する敵意や復讐心を抑え、新たな友好を築くためにとられた、新しい平和のつくり方だった。
民主化が進み、ナショナリズムが発達すると、人々が払った犠牲を忘れて、指導者間だけで和解するわけにいかなくなった。ナポレオン戦争のウイーン講和が分岐点となった。
戦勝国、敗戦国を問わず、非戦闘員を巻き込んで未曾有の被害をもたらした二つの世界大戦の後に、和解を促すためにとられた方法が、敗戦国民の「線引き」、すなわちニューンベルグ裁判、東京裁判などの敗者に対する「裁き」であった。
これらの裁判は試行錯誤の過程であり、戦勝国でも批判が多かった。しかしながら、戦後処理でもっとも難しい「感情」の問題について、裁判という形で政治的解決を図ろうとした点は評価されるべきだ。
もっとも重要な問題は、中国側になお、過去に根ざした国民の「反日感情」が残り、いまだに「線引き」による和解にこだわらざるを得ない日中関係の現在である。
お互いに和解を求め合わなければ、新たな偏見や敵意の根拠ともなり、「報復の連鎖」につながりかねない。
日中両国は、過去の想起のみならず、和解について価値観を共有し、あるいは新たな「和」のあり方を創出していく時に来ている。