中国人妻

久しぶりに朝から青空が見える夏日、しかし風は比較的爽やかで秋が来るのを思わせる。
今年6回目の芝刈りを行う。


昨日のブログを投稿後、法的に「公務」は皇室の義務なのかという疑問がふと湧いた。それで、ネットで調べてみたら、宮台真司氏(社会学者;首都大学準教授)が、2004−07−25投稿のブログで、次のように、明快に“義務”を否定していた。

『公務とはパブリック・サービスです。政治家とお役人が国民に対して負う憲法上の義務的行為のことです。皇族はむろん統治権力ではありませんから、彼らが国民に対して憲法上の義務を負うことはありえません。まして法律によって何かをしろと命じられるということもありえません。ゆえに皇室に“ご公務”はありえません。

憲法第7条で細目が列挙された天皇の国事行為についてはどうか。国事行為ですらも、公務すなわち国民に対して負う義務であるかどうかは疑問です。というのは、憲法第1条で象徴天皇制が規定されていますから、天皇統治権力の側には属さないと解するのが自然だからです。

■第7条に列挙された国事行為は、「天皇に対する命令」と解するべきではなく、「統治権力は天皇に対して何をお願いしてよいか」を列挙した許可条項だと解するべきです。このことを理解しない向きが多いのは問題ですが、本当の問題はそこから先です。

天皇の国事行為も皇室の“ご公務”も、国民に対して負う義務ではありません。国民は命令権限を持たないからです。憲法上自らに何の義務もなく、誰にも命令する権限がないのに、陛下や殿下やお妃様が“自ら”統治権力からの「お願い」に粛々と従っておられ、それゆえにこそ象徴天皇制がうまく回っているように見えるのです。陛下や殿下が「自分はもう国事行為はやらない」とか、「わたくしはもう“ご公務”はやらない」と宣言されれば、全ては終わります。』


雅子妃は外交官試験に合格した位だから、法律に明るく、宮台説と同様な考えで、精神安定のため意識的に「公務」を避けておられるのかもしれない。民主主義の国、日本なのだから、雅子妃にもそうされる自由はおありになると思う。

郵政選挙に騙される程度の、IQの低い普通の日本人にはよく理解できないかもしれないが。


話は、全く変わるが、

いわゆる「中国人妻」は年間1万人を超えるベースで生まれているそうだ。その中でも“中国人花嫁”の多くは、中国東北部の貧しい地方の出身である。
この“花嫁候補”が押し寄せる「面接」現場と彼女たちが脱出を願う貧困の実状の現場リポートが『週刊ポスト』9月15日号に掲載されている。

以下に一部を抜書きする。

女性たちは、家族構成、結婚相手に希望する年齢、自身の借金の有無などを盛り込んだ身上書を自分で記入。その用紙を見ながら、面接は行われた。

職業欄には、美容師、店員、自営業、農家といった言葉が並ぶ。最終学歴は初中(中学)より、高中(高校)が多い。だがこうした自己申告のプロフィルは当てにならないと指摘する関係者は少なくない。
「農村では中卒がほとんどですよ。・・・」
中国では役所に賄賂を渡せば、学歴、婚姻暦、年齢すら変えられるため。(中略)

国際結婚を望む女性たちの多くは極寒の村で、貧困から抜け出せない親を見て育った。そして彼女たち自身、中国国内において“より良い暮らし”を手にすることは容易でない。

立ちはだかるのは、戸籍制度の壁。中国では農業戸籍と都市戸籍に分かれており、農村の住民は収入が少ないというだけでなく、都市レベルの社会保障も受けられず、大きな税負担を強いられてきた。
さらに都市部の男性は、農村の女性との結婚を望まない。生まれた子供の戸籍は母親の戸籍と同じになるため、子供も農村の戸籍になってしまう。
中国の農民は、なかなか貧困から脱出できない社会的構造となっているのだ。

面接の際、なぜ日本に行きたいかと質問されて、「生活環境を変えたい」と答えた女性が何人かいた。

経済的に豊かな国に憧れる女性、理想の結婚に憧れる男性、そして双方の願いを結ぶ日中の仲介業者たち。お見合い国際結婚にはさまざまな思惑が交差する・・・・。