戦争への道の選択肢

しとしとと秋雨のはしりらしい小雨が降る。晩夏、今年の夏も終わりか。淋しい気がする。夏らしい暑い日が少なく、夏の気分を十分に味わえなかったんだもの。今夏は芝生への散水は必要がなく、一度もしなかった。睡眠中の温調をしない日が多かった。


ところで、『「たら」「れば」で読み直す日本近代史(講談社)』という本では、日本が絶対に回避すべきった日米戦争に入り込まずに済む選択肢について考究している。

日露戦争後の満鉄経営の問題で、アメリカの鉄道王ハリマンが提案した日米共同経営を受けいれていたら、日米共存共栄のシンボルとなったのでないか。

つぎのifは、第一次大戦のさい、日本が英仏の要請に従って欧州戦線に本格参戦していれば、アメリカの参戦も起こらなかったはずなので、・・・その結果、第二次大戦が勃発しても、日本が枢軸国側に加担する可能性は生まれなかった。
日本が第一次世界大戦で漁夫の利を占めたツケは大きかった。
ベルサイユ・ワシントン体制が成立した以後の日本は、・・・反日・排日行動のなかで日露戦争の成果だけを汲々として維持していくのかという選択肢しかなかった。
濡れ手で粟のボロ儲けは個人でも国家でも誤りの元のようである。


以上は、週刊文春8月31日号に記載のフランス文学者鹿島茂氏の「私の読書日記」からの受け売りでした。

以上の記事は、日本が、何故あの馬鹿な真珠湾奇襲に追い込まれたのかという、小生が普段懐いている疑問に何となく答えてくれている。

だが、一億人余の日本人を、この狭い国土で如何にして喰わしていくかという問題は未解決である。原著を読んでいないが、読んでもおそらくそうであろう。

さらに、太平洋戦争は避けられたとしても、明治憲法下では、軍部の発言力は依然として強く、今日の平和で自由な日本は来なかったであろう。

結果として、戦争をして戦争に負けて、明治憲法体制下の軍部を崩壊させる以外に今日の日本はなかったのである。
この場合、日本を占領した相手が、当時は豊かで余裕のある民主主義の国アメリカだったからよかった。
もし占領国がソ連だったら、日本は今の北朝鮮のような国になっていたかもしれない。こう考えると、運命論者にならざるをえない。



今日、安倍氏自民党総裁戦出馬宣言をした。彼が総裁、首相になるのは確実視されている。
テレビによると、聞き違いかもしれないが、その際に、集団的自衛権を行使できるよう憲法改正を行いたいが、それまでは「集団的自衛権保有するが、行使はできないとする」という従来の憲法解釈を変えて「行使できる」と解釈するようにしたいと言ったそうだ。
つまり現憲法は、『アメリカと一緒に外地で戦争を行うことができる』と解釈されるということのようだ。
今のアメリカは、イラク戦争イスラエルレバノン戦争の例でも明らかのように、武器の生産、輸出によって景気を維持する好戦国に成り下がっている。


私にできることは、安倍政権の誕生が日本の戦争への道の選択肢だったと、後世の史家がいうようならなければよいと、祈るのみ。