ゴーン夫人とシャネル社長の対談


今、イスラエルの容赦ない空爆下にいるレバノンは、日本にとって遠い存在であるが、第二次大戦中の日本に何となく似ている気がする。

ついては、文芸春秋9月特別号に載っている「ゴーン夫人(リタ・ゴーン)とシャネル社長(リシャール・コラス)」の対談が面白い。特に印象に残った点を抜書きする。


コラス:リタさんの始めての著書『ゴーン家の家訓』を読ませていただきました。
カルロスが日産自動車のCOOに就任するとき、ゴーン家では日本赴任に抵抗はなかったんですか。
ゴーン:それがまったく。夫は非常にうまい言い方をする人なんです。彼は私に「日本に行かなくてはならない」と言うかわりに、「君が行かないならば僕も行かないけれど」と聞いてきた。そうやって私に決定権を委ねておいて、「僕が行かなければ、この件は暗礁に乗り上げるだろう」とプレッシュアをかけるんです。まるで日産の命運が私の返事にかかっているみたい。ズルイですね(笑)。
コラス:ビジネスのときとまったく同じだ(笑)。
ゴーン:レバノンという国は、イスラム教徒とキリスト教徒の対立が長年続いていて、私が9歳のときから15年間、内戦下にありました。私はキリスト教徒ですが、絶え間ない空爆の中で多くの知り合いが死にました。しかしイスラム教を否定するつもりはまったくありません。イスラム教の教え自体には素晴らしいものがたくさんある。人々の行動が極端化したところに問題があるだけなんです。


コラス:リタさんとカルロスは、ひと口に“レバノン人”と言ってもずいぶんと違う生い立ちなんですね。

ゴーン:私はレバノンで生まれ育ち、フランスの大学に進みましたが、カルロスは祖父がブラジル移民だったので、6歳まではブラジルで育っています。
レバノンでは、宗教対立の中で生活に困窮した人々は、19世紀末から南米などへ移住していったのです。そして子どもが学齢に達すると、妻子だけがレバノンに帰国する。カルロスも学校教育はレバノンで受け、大学からフランスに移り、就職しました。

コラス:そしてリヨンであなたと運命的な出会いをしたわけですね。
ゴーン:私は内戦下で育ったので、人間の生命が有限だということに敏感でした。ごく若いうちから、「生き残ったら有意義な人生を送ろう」と誓って生きてきたんです。
大学に進学するためにリヨンの姉夫婦の家に身を寄せた当日、ホームパーティにやってきたカルロスと出会って、「私にはこの人しかいない」とすぐ分かりました。
ただ残念なことに、彼は私の気持ちに気づいていなかったようです。(中略)19歳の私は子どもに映ったんですって。

コラス:結婚して20年、昨年のリタさんの40歳の誕生日に、カルロスから100本のバラの花束が贈られたそうですね。
ゴーン:彼にとって、100本のバラを用意するなんて悪夢だったと思います。