麻生首相と郵政民営化

gladson2009-02-09

世耕日記より:

子供の頃の我が家族の恒例行事の中に毎年夏休みと冬休みに映画館に出かけ「男はつらいよ」を観るというものがあった。今、車寅次郎のあの決め台詞を思いっきり叫びたい心境だ。
 それを言っちゃーお仕舞ぇよ!!
 2005年7月。私は参議院郵政民営化特別委員会の理事を務めた。郵政民営化こそが改革の本丸と意気込む小泉純一郎総理を支持する立場で郵政民営化法案の成立のため1ヶ月近く国会内を走り回って反対派の説得などにあたった。その過程でそれまで非常に仲が良かったにもかかわらず、絶縁状態になってしまった議員も複数いる。地元和歌山でも初当選以来熱心に応援してくださった多数の郵便局関係者とは、郵政民営化が原因で今なお没交渉となっている。他の多くの議員と同様、いろいろな人間関係に悩み、しがらみを乗り越えて、苦しく、嫌な思いもしながら、しかし政治家として決断して郵政民営化に賛成してきたのである。
 「実は反対でした」などとは口が裂けても言えない。「委員会の理事は議事進行が役割で法案の中身には関与していませんでした」とも絶対に言えない。それこそが政治家の「矜恃」というものだろう。
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 世耕日記(2月10日)より:「総務大臣就任時は反対だったが、その後約2年間勉強して平成17年4月の郵政民営化法案の閣議決定時は賛成の立場になった」という説明は少々納得しづらい。
 小泉総理は郵政民営化に政治生命を賭けていた。平成15年9月の内閣改造時に当時自民党政調会長だった麻生氏を郵政行政担当の総務大臣に任命するにあたって、郵政民営化に賛成か否か、協力するのかどうかを確認せずに任命することは到底考えられない。特に小泉総理は組閣作業の閣僚呼び込み時には指示事項をペーパーにして渡していたとされる。当然そのペーパーには郵政民営化が入っていたはずだ。また麻生氏は政調会長時代に「郵政公社化法案」の党内取りまとめに携わった際、部下の荒井広幸総務部会長が土壇場で「4年間の民営化凍結」という条項を盛り込もうとして小泉総理に却下された経緯もある。総務大臣に任命するにあたって小泉総理が一層慎重に民営化への協力を確認しないわけがない。
 翌年平成16年6月には「骨太の方針2004」が閣議決定される。その中には「郵政民営化の着実な実施」、「平成17年の民営化法案提出」が明記されている。麻生総務大臣は閣僚としてその閣議決定に署名しているのだ。
 さらにその年の9月10日には郵政民営化閣議決定が行われている。この時には自民党の党内手続きが無視されたということで大騒動になった。それでも麻生総務大臣は辞任することもなく閣議決定に署名している。そして閣議決定の中には「民営化」、「4分社化」、「H29年度までの持ち株会社からの分離」が明記されている。
 そしてその月末には内閣改造が行われ、麻生総務大臣は留任となった。この改造の際には小泉総理は記者会見で閣僚人事に関して「民営化への協力が前提」と明言している。当然麻生総務大臣にも「協力の確認」が行われたはずだ。
 そして翌平成17年の郵政民営化法案提出→参議院での否決→解散・総選挙へとつながっていくのである。
 麻生総理が当時、複雑な立場・心境にあったことは理解しよう。しかし上記のように何度か明確な「意思の確認」が行われているのである。民営化に本当に反対であれば拒否して閣外に去ることもできたのである。「実は反対だった」という発言は言語道断だし、上記のような経緯を考えると「2年間勉強して賛成に変わった」、「民営化に反対だったのではなく4分社化に反対だった」という趣旨の弁明も通じないのではないか。


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河村官房長官は10日午前の記者会見で、麻生首相が2008年の自民党総裁選で、「郵政民営化を担当した」と述べていたことを、「担当相と言い切っているとしたら、それは勘違いではないか」と述べた。

 首相は5日の衆院予算委員会で、「郵政民営化の担当大臣ではなかった」と述べ、発言の矛盾が指摘されている。

 河村長官は「改革をやり遂げる責任は総務相(だった麻生氏)が持っていた。ただ、(改革を)直接進めたのは竹中(郵政民営化相)さんだった」と語った。首相は昨年の総裁選公開討論会では、「間違ってもらっては困るのは、(自分は)郵政民営化を担当した大臣だ。忘れないでください」と語っていた。

(2009年2月10日13時46分 読売新聞)