白線と短剣


2月5日(火) 晴れ
21℃、33%(就寝前加湿)、25℃セット
2℃(朝外気温)、10℃(朝室温);9℃(外気温)(14.00)


君よ知るやレモンの花咲くあの国を、
ほの暗き葉陰には黄金色の柑子かがやき、
そよ風は青き空より流れいで、
天人花は静かに月桂樹は立てり。
君よ知るやそを、いざやかなたへ、
いざともにゆかんいとしのきみよ。

{少女ミニヨンが故郷の南国イタリヤを懐かしんで唄った歌のそうだ。:ゲーテの「修業時代」より}
ここ鎌倉は真冬、でも写真のように、垣根越しに夏柑の実が黄金色に枝もたわわにかがやいている。ついミニヨンの歌を想い出す


T医院へ行き、ガスドック、エクペック14日分およびLP散(鼻風邪用)4日分を貰う。


昨日から今日にかけて、和田良信著「白線と短剣(昭和50年発行)」が、一部私の体験と重なるところがあり、面白く夢中になって読み耽った。
白線は旧制高校生の比喩であり、短剣は旧海軍将校の比喩である。著者の旧制高校(一高)、東大、学徒動員、海兵団、海軍経理学校、海軍主計将校任官、終戦処理までの、悲喜こもごもの体験談が生々しく、かつユーモラスに語られている。
軍人は口が達者で、さらに要領がよくなければ務められないというか、戦場でなく内地にいても命がもたない世界であることを改めて痛感した。この書に書かれた世界は、今の若者にとって別世界であろう。なお著者は戦争末期に任官したために、海軍といいながら一度も乗船したことがないという。同僚のQ氏が外出中に満州の兄宛に、海軍の日常生活を正直に書いた手紙が検閲にひっかかり、そのために免官となり、その後行方不明になったという記事は衝撃的である。恐ろしい時代だった。
敗戦復員の際、隊長の訓示があり、「再び海軍航空隊が生まれるときは、この場所に集まるんだぞ・・・」そのとき後ろの方から聞こえてきた!「誰が来るもんか!」かなり大きな声だったが、今やそれをとがめる者はいなかった。職業軍人将校と学徒出身将校の間に、かなりの溝があったという。