パリの石畳

1月7日(月)曇り→雨
22℃、40%(就寝前加湿)、23℃セット
3℃(朝外気温)、14℃(朝室温);13℃(外気温)(10.00)


T医院へ胃薬他を貰いに行く。


和田俊著「パリの石畳(朝日新聞社:1983年発行)」を読む。
朝日新聞社特派員として、著者がパリに滞在した時の随想記である。

日仏文化の違いについての鋭い考察が面白い。その中のいくつかについて、以下にメモする。


平等感覚について:
日本のような同質民族の場合、「皆同じが平等だよ」という気持ちになりがちである。ところが、フランス人の場合、1人1人に差をつけず、一把十からげに扱うと、かえって不平等だと不満がわき起こる。
たとえば、公立学校の給食費。日本の場合だと、各生徒に差をつけず、1人いくらと同一に扱うのが普通だが、フランスではその方式は不平等にあたるのである。子どもの給食費は親の収入によって差をつけるのが「平等」なのだと考える。たいていの小学校は、親に収入証明書を提出させ、それによって子どもの給食費に格差をつけている。
(思うに、今日本では親の給食費不払いが当局の頭痛の種になっている。しかし、フランスならこの問題をどう解決するだろうか?故意の不払いに該当する子どもには給食しないのでなかろうか)



バカンス:
フランスのバカンスは法律である。だから経営者、労働者の双方にとって、バカンスは権利であると同時に義務でもある。労働者はバカンス休暇の期間中、よそで働いたりいてはいけないという義務を負わされているのである。
その結果、バカンスはすっかり庶民の生活に根づき、「夏は仕事にならぬ」ほどの花盛りとなったのである。


一対一主義:
日本人の集団主義に対して、フランス人は個人主義、一体一主義。
例えば、セーヌ河畔の船着場で、スピーカによる出発案内の類がまったくない。お客は1人1人、窓口に出向いて、出発時間や乗船時間をたずねるのだが、乗客全部にまとめて情報を提供する設備がない。その結果静かである。