われわれはどこへ

1月6日(日)晴れ
20℃、39%(就寝前加湿)、23℃セット
3℃(朝外気温)、12℃(朝室温);12℃(外気温)(15.30)



陽が大分高くなってきた。午後にテレビを視ていても、直接身体に陽が当らなくなったのは、贅沢のようだが、有難い。

映画「トリコロールに燃えて」を録画で視る。最後のほうの、パリでレジスタンスが、土嚢を築いてドイツ残兵と戦ったり、ドイツ軍に協力した女をなぶるシーンに特にひきつけられた。幸いにわが国は、敗戦時にこのような悲惨な体験をしなかった。島国の有難さだろうか。天皇のせいだろうか。よく分からない。頭脳明晰な文化人なら上手に説明するのだろうが。


そういえば、今朝の朝刊の「耕論」に、頭脳明晰な文化人である上野千鶴子さん(48年生まれ)と加藤周一氏(19年生まれ)の、「われわれはどこへ」というテーマでの成るほどと感心させられる対談が載っていた。忘れっぽいボケ老人は、早速以下のようにポイントをメモした。

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上野:右派勢力は拉致問題ナショナリズムの求心力のために利用した。
振り返れば、91年には「元慰安婦」による損害賠償訴訟があった。ナショナリズム的な機運は、その反動として始まった。この動きがその後の右傾化に結びついていく。沖縄戦の「集団自決」をめぐる、今の高校日本史の教科書検定問題もその文脈でとらえられる。
加藤:沖縄の問題は、軍の命令があったかなかったかという細かい点に解消されてしまっている気がする。肝心なのは軍の責任であり、どういう状況が人々を追い込んでいたかだ。
===今後、日本が掲げるべき目標のようなものは。
加藤:明治維新以降、日本の近代化の目標は、「富国強兵」だった。まず「強兵」から初め、日露戦争で勝利し、達成したと人々は受け止めた。しかし1945年の敗戦で破綻する。その次は「富国」。短い期間に大成功したが、それもバブル経済がはじけて以降、国全体の情熱をかりたてる標語としては作用しなくなった。これからは、軍事力や経済力でない、第3の道で切りひらいていくしかない。
===例えば?
加藤:一つは福祉。現実的な目標としてワーキングプア(働く貧民層)対策。ワーキングプアが少ない、または存在しないことを国民的なモットーにし、政府が熱心になれば、世界の主導的な立場になれると思う。
上野:日本は05年から人口が減少に転じた。衰退していく社会、言い換えれば「成熟社会」にどう軟着陸するか。
私は「生活の質(QOL)」を重視したい。
加藤:明治以降、日本の倫理的体系は儒教で、家族制度が中心だった。それが戦後に崩壊した。そのため提供できなくなった介護を介護保険が穴うめしているのでは。
上野:儒教的家族主義の破綻を政府が認めた。介護保険は「家族革命」だ。介護を他人が行う。家族に頼らない介護を常識化した。
加藤:儒教的家族主義の破綻は介護保険だけでなく、社会のいろいろなところに現われている。だから介護保険が希望の星といえるのかどうか、私にはわからない。ただ、家族に頼らない介護が達成できれば、世界に向けて発信でくる一つの価値観になると思う。仏教も儒教キリスト教も信じない、でも有効に機能する社会秩序を作り出すことが可能だ、と。
上野:携わっている女性や若い人たちがプライドをもって働ける条件整備がぜひよも必要だ。
加藤:儒教のかわりに対応したのが集団主義だ。その集団主義が崩れたら社会は危なくなるだろう。その時、どうするか、この問題をうまく解ければ、これからの大きな希望になる。
上野:日本では宗教のかわりに「家族主義」と「世間教」があった。・・・・もはやお手本のない時代。積極的なモデルは見えないが、否定的なモデルならわかる。例えば「アメリカ化するな」のような。
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私見を付記すれば、敗戦後、すなわち昭和20年代の打ちひしがれた日本は、今後どうあるべきかと色々と論じられたものである。例えばスイスが一つのモデルだった、資源がなく、しかも豊かで、戦争をしない永世中立国という意味で。当時は一歩でもスイスに近づけるのが理想だった。しかし間もなくスイスを追い抜いて日本は世界第二の経済大国にのし上がってしまった。それが間違いだったのかもしれない。日本も人口が徐々に減ってスイス並みになれば、真に豊かな国になれるかもしれない。