官僚天下りと三島由紀夫

10月31日(水)曇りー晴れ
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昨日買った猪瀬直樹著「ペルソナ 三島由紀夫伝(小学館:2001年発行)」を読み始めた。面白い。しかし活字が小さい上に450頁(A5版?)に及ぶ大作なので、読み終わるのに何日かかかりそう。読みかけを食卓の上に置いておいたら、偶々家内が中を覗いたのか、
「三島の本面白そう。私も読みたい」という。
「どうぞ、どうぞ、しかし読み終わるまで数日かかりそうだから、それまで待って」と答えたら、
「どうせ、後でゆっくりと読ませて戴きますから」と返ってきた。
「後で」というのは、何時ものくせで、どうやら私があの世に行った後で、独りのんびりできる時のことを指すようだ。


それはさておき本書は、三島に関する、出自を始めとする数多くの疑問について、文書や証言に基づいて著者の推理を交えて答えようとしているので、推理小説的な面白さがある。
今まで読んだのは、「プロローグおよび第1章 原敬暗殺の謎」である。
明治後期から始まる政党VS薩長閥の争いの中で、東京帝大卒の官僚が育っていく。当時の知事は政府によって任命された。三島の父方祖父である平岡定太郎は原の知遇を得て、明治41年に樺太庁長官に任じられる。猪瀬は、サハリン(旧樺太)に渡って、公文書館で当時の実状を調べた。そこで平岡の行政上での苦労などを知る。やがて平岡に、満鉄総裁への新聞辞令が出たが、部下の第一部長中川小十郎による原への讒言によってその道は閉ざされたという。以後平岡家は「小説:仮面の告白」にあるように急速に没落していった。
当時は官僚の組織的な天下り制が確立していなかったのが背景にあるらしい。平岡と中川は帝大の同級生だったが、部下に任命された中川の嫉妬が原因だという。それを考えると戦後の組織的官僚天下り制は、過去の教訓をよく生かしているようである。


午後偶々テレビを視たら、守屋前防衛次官の接待問題の解説をしていた。元防衛庁幹部によると、受注実績には接待は関係ない、天下り受け入れ実績によって決まるそうだ。審議官クラスの年俸は約1300万円、天下り後のそれは約1500万円だという。企業はそれに見合う利益を期待する。天下り問題は根が深い。