高校クラス会

本郷の学士会分館で行われた、恒例の高校クラス会に出た。出席者は昨年と同じ。欠席者は病気が理由で、この年齢になると病気が治って、出席するという例はない。
アメリカから遠来の、サウスカロライナ大学特別名誉教授渡部哲光君が最近出版した自著「アメリカ大学研究生活50年:古今書院出版」を、サイン入りで各人に進呈して呉れたのには感激した。才能の程度は近くても、努力と運またはツキによって、人生の終り頃の大きな差が出ることを今頃になって知った。彼は、太平洋戦争が始まるまで、夕方渋谷の喫茶店で高校英人教師とコーヒーを飲みながら英会話の実践をしたらしい。その頃だらだらと遊んでいた私とは、心がけが全く違う。それで彼は、戦後間もなくアメリカに渡って、研究生活を送るのに抵抗感が無かったのだろう。今や、「バイオミネラリゼーション」という、生物が鉱物を作る現象の分野で世界的権威になっているらしい。
もっとも、後半生を送る場所が、アメリカと日本でどちらの方が幸せかは比較のしようがないが。

O君が、一年生の頃誰かが撮ったクラス会のモノクロ写真の懐かしいコピーを配ってくれた。これは、○○だ、いや××だと皆で騒いで、ひとしきり17,18歳当時の若やいだ気分に戻った。

M君やT君がそれぞれ、「オリーブと橄欖」および「哲学の周辺」について、簡単なスピーチをしたが、目新しい内容はなく、退屈した。

それよりも、H君が「最近急に左手指に力が入らなくなった。医者がMRIなどで検査をしたが、原因不明で、対処法が無いと言われた。しかし、ハリ治療で大分良くなってきた。」という話の方が身近で興味が湧いた。この場合に困った点として、ネクタイが結べない、ワイシャッツの袖のボタンを通せない、タオルを絞れないなど3点を挙げていた。

12.00から16.00まで、昼飯を挟んで途切れなく話が盛り上がったが、その間トイレに中座した他は坐り通しだったので、左尻が少し痛くなった。

次回の幹事の挨拶があった後、再会を約して散会。