お寺売買

テレビのBSi(BS6)で、グローバル・ナビを途中から視たら、アメリカの著名投資家ジョージ・ソロス氏が北朝鮮問題について、「北朝鮮は今、緊張によって体制が保たれている。アメリカが二国間対話に乗り出して、軍事的に攻撃しないと約束すれば、北朝鮮は内部崩壊するであろう」と言っていた。
その時は成る程と感心したが、アメリカのような多民族国家ならこの理論は成り立つかもしれないが、北朝鮮のような単一民族国家ではどうであろうか?と考え直してみた。

第二次大戦末期の日本の状況と今の北朝鮮の状況は比較的似ている。もし原爆投下前に、連合国側が、「犠牲者をこれ以上出さないために、今後日本に対して一切の軍事攻撃はしない、しかし日本本土の海上封鎖は、一層強化する」と宣言したとしたら、日本は内部崩壊しただろうか?
一般国民には飢えのために、軍部に反抗するエネルギーは無かったのでなかろうか、そして一億総餓死して、日本民族は絶滅したのでなかろうかと詰まらぬことを色々と考えたりして、秋の好日を過ごしてしまった。

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北尾トロ著「怪しいお仕事:新潮文庫」の中の「お寺売買のコーディネーター」という章を読んだ。読後、葬式の際の読経の後などで、立派な袈裟を纏った坊主が、勿体ぶって諭す『仏の教え』を有り難く拝聴する善男善女(この章を読む前の私を含めて)の姿が浮かんできた。
人の本性、欲望は職業によって変わるものでないことが、改めてよく分かった。以下、ある宗派の寺の住職の話の要約である。
なんで寺が売買されるかといえば、住職になっても住職にならなければ、出世もできなければ、金持ちにもなれないからだよ。住職でない僧侶はいってみればサラリーマン。しょせんは雇われの身だから収入などタカが知れているし、将来性もない。
住職の資格を得るには、ざーっと10年の修業が必要だというが、有資格者になったとしても全員が住職の座につけるわけでない。この宗派の場合、寺の数は僧侶の数の半分程度。しかも、住職になって食べていける寺は、せいぜいその半分ときている。
上に行けば行くほど、権力も金力もアップするのが坊主の世界だという。ふつうは、いい寺の住職になってラクに儲ける出世パターンを目指す、経営手腕があれば金を作り、人脈をフル活用し、いい寺を買えばいいのだ。
寺の売買システムは複雑怪奇。一般社会のようにはいかない。かかわる人間も多く、定価もなければ相場もマチマチで、しかも領収書の存在しない世界なのだ。
寺を買うには多くの人の許可が必要だ。じつに面倒だ。欲と欲が釣り合えば、商談が成立する。