細木数子と渋谷百軒店

週刊現代:8/19・26号」の『細木数子:魔女の履歴書―最終回』を読み始めたら、彼女は渋谷区百軒店で生まれ育ったとのこと。

戦時中、百軒店はその名の通り沢山のバーなどのある歓楽街だった。ここは駒場にあった一高(旧制第一高等学校;戦後学制改革により廃校となり、そのキャンパス跡に東大教養学部がある)の生徒の夜の癒しの場だった。

小生は一高に入学して間もない頃、同クラスのN君と一緒に某先輩に連れられて百軒店の洗礼を受けた。田舎出の小生は、バーを挟んで酒をサービスする脂粉漂う若い女達の前で固くなり畏まっていた。今でも酒の旨さが分からない小生はその後百軒店に行ったことはない。
だが、もともといける口だったN君は、アルバイト(家庭教師)をして金を作っては頻繁にここに通ったらしい。そのせいか東大入試に失敗し、都落ちした。

光クラブ社長山崎晃をモデルにした、三島由紀夫の小説「青の時代」に、山崎がここのバー『モンド』で遊んだ様が克明に描かれている。

山崎に限らず殆どの一高生は、少なくとも一度は百軒店で飲むか、写真に示すように今も残る名曲喫茶『ライオン』でクラッシクに耳を傾けるなどして遊んだはずである。




同期のS君には以下のような公開された武勇伝がある。
「ある晩、百軒店のおでん室で飲んでいると、さっきまできこえていた寮歌がピタリとやみ、やがて『喧嘩だ』という声が外を走った。


反射的に店を飛び出した私が下から坂道を上がってくる三人の陸軍曹長とすれちがった瞬間、私の顔面に強烈な鉄拳が飛んだ。
『学生の分際で酒をくらうとは何事だ。』 
『何を、不意打ちとは卑怯者め、』
怒り心頭に発した一撃を相手の顎に返し、敵の頭から落ちた軍帽を奪いとった迄はよかったが、忽ち三人に殴り倒され組敷かれてしまった。
『突くなり斬るなり勝手にしろ』 

『よし、叩き斬ってやる』
『兵隊さん、やめてよ』
黒山の人だかりの中から数人のバーの女性が飛び出してきて軍刀にしがみついた。
憲兵隊につき出してやる』
『望むところだ。そこで黒白をつけよう』
私は戦利品の軍帽を握り締めて歩き出したが、やがて近所の交番まできた時、親切なお巡りさんの口ききでお互いに戦利品を交換しあって別れてしまった。」


細木は現在68歳というから、当時は幼女であって、これらの記憶はあるまい。また幼児の数子を知る一高生もいまい。