戦後の社会主義体制


写真は、ビルの谷間に彩りを添えている百日紅の花である(横浜駅西口付近)。

昨日の疲れで今日はぶらぶら過ごす。

昨日そごうで買ったloftyのヒップレスト及びバックレストが、椅子に使い心地がすこぶるよい。長時間腰掛けてもヒップが痛くならない。
素材は低反発性?ポリウレタンのようだが、デザインが優れているみたい。意匠登録出願はしてあるだろう。さもないと直ぐ真似されてしまう。特許性があるかどうかは、すれすれだと思う。実用新案登録は問題ないかもしれない。



週刊文春8.3号を拾い読みする。
メモに残しておいた方がよいと思う箇所を以下にメモする。

日本遺族会員には、年間6400億円もの給費金がでている。
靖国神社の運営の大部分は、戦没者遺族からの寄付金で成り立っている。
遺族年金は年間、大将クラスで約750万円、一兵卒だと100万円程度。」



猪瀬直樹の「ニュースの考古学」から:
「時代が日米戦争へと傾くにしたがい社会主義体制は完成しいく。
戦時下の海上運送の船員保険が厚生年金へ進み、終身雇用・年功序列の賃金体系にし、株式市場からの資金調達ではなく銀行中心の間接金融へ、重要産業団体をもとに業界団体がつくられ、営団、金庫(公社、公団)なども生まれた。給与の源泉徴収制度の導入、直接税中心の税制の固定化、税財源を中央集権化させ補助金を地方に配る仕組みが確立する。敗戦後もこの体制はつづいた。」



そうとすると、私たちは現役時代、知らずに社会主義体制下で働いていたことになる。何となく矛盾を感じていたが!
入社すると自動的に組合員になり、組合と衝突することは、退社の危険があるという制度になじめなかった。大学時代の優秀な同級生Tは、組合問題で退社し、以降自営業で成功した。