東大に入る」ということ「東大を出る」ということ:第二部

『「東大に入る」ということ「東大を出る」ということ』
の第二部「いい子」であり続けることの「意味」を読む。
筆者:平林慶史は一浪後東大文三合格、東大大学院に進学したが、一年で退学し、今は小さなベンチュア企業で働いている。
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東大生には「いい子」が多いと思う。大人に期待された道を大きく踏み外すことなく、言われたことはよく聞く。そして実際、人当たりもやわらかで、他人が期待していることを汲み取り、それに応えていくことも上手のように思う。(中略)
しかし、そんな「いい子」であることがしんどくなる時が本当にある。これ以上「いい子」であることに耐えられことだってある。(中略)
この本は、(中略)いまだ「いい子の呪縛」から逃れきれていない僕の「叫び」でもある。そして、それはきっと、東大生、の多くが持つ思いでもあると思う。
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くどくどと色々書かれているが、第二部の核心は以上に尽きるようである。


数日前に起きた奈良の母親(義母)と弟妹焼殺事件の犯人とされる長男(高校生)の犯行動機は、《これ以上「いい子」であることに耐えられ》なくなったからでなかろうか!
気持ちはよく分かる。