鎌倉の大きな洋館;古我邸

鎌倉は観光客で賑わう小町通りのJR線の反対側の閑静な住宅地(扇ガ谷)に、広い芝生の前庭の奥の山裾に南面して、写真のような古い洋館が化物屋敷のように佇んでいる。ブロンズの門扉は錠が掛けられたままで人が住んでいるのかどうか分からない。しかし立派な「古我」という表札が掛けられており、カーテンも掛けられているみたいなので、無人でないことは推測される。
この辺を散歩するたびに、お化け屋敷にしてはおかしいなあと、首をかしげながら通ったものだ。

ところが、一昨日の朝日新聞に折り込まれた「鎌倉朝日」に書かれた『プロムナード』の記事で謎が解けた。

記事によると、この屋敷は大正5年(1916年)に、三井銀行重役(小生の調べでは、三菱合資専務理事)・荘清次郎氏の別荘として、山を背にして千数百坪という広大な敷地の奥まった高台に建築され、今でも当時の趣を損なうことなく建っているそうだ。

鎌倉文学館(旧前田侯爵邸)や旧華頂宮邸と並ぶ鎌倉3大洋館の一つのそうだ。だが、個人宅なので非公開とのこと。

浜口雄幸近衛文麿の別荘になったこともある由。

『プロムナード』の筆者は、8月10日にこの屋敷から遠花火を楽しむ機会に恵まれたそうである。そしてこの由緒ある洋館とそれを取り巻く自然、景観を保存してぜひ後世に残したいという現当主古我夫人の願いを、花火を眺めながら、その日招かれた誰もが共感をもって受け止めたそうだ。

今は格差社会というが、明治大正の頃の格差は今と比較にならない位酷かった。

一例を挙げると、先日触れた『魔都の港』の主人公は、日本郵船上海支店長の時の1919年(大正8年)に過労が祟って病没したが、その時の退職金は10万円、現在の金額に直すと十億円にもなるという。信じられない高額である。

現在私が住んでいる住宅地で近くに、元財閥系大会社社長の住宅があるが、見たところは、私の家より一寸増しな位である。中味は分からないが。